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BUMP「クロノスタシス」歌詞の意味を考察 映画『名探偵コナン ハロウィンの花嫁』主題歌
秒針が止まった空白、大切な答えが分からないまま淡々と進む時間、他者と共有できない意味、アルペジオと引き算のアレンジ。BUMPらしさを継続しながら新しい領域に進んだ。「クロノスタシス」は名曲だ。
本稿では、インタビュー記事を参考にしながら BUMP OF CHICKEN 「クロノスタシス」の歌詞の意味を考察する。およそ5700字あり、全文が無料だ。
名乗り遅れましたが、街河ヒカリと申します。
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BUMP OF CHICKENの楽曲「クロノスタシス」は、2022年4月15日に公開された映画『名探偵コナン ハロウィンの花嫁』の主題歌である。2022年4月11日(藤原基央の誕生日前日)に配信リリースされた。
お祝いのメッセージをありがとう。
— BUMP OF CHICKEN (@boc_official_) April 12, 2022
今日まで音楽を続けて来られたのは、
皆さんの、あなたの応援のおかげです。
これからもよろしくお願いします。
昨日新曲「クロノスタシス」がリリースされました。
ぜひいっぱい聴いてほしいです。
ちょっと歌ってみたよ、冒頭こんな感じです。
藤原 pic.twitter.com/B6dtZ90iJ0
(出典:https://twitter.com/boc_official_/status/1513897173997391878)
雑誌『MUSICA』に掲載された藤原基央へのインタビュー記事によると、2021年の10月下旬にデモを作っているとのことだ。
(出典:『MUSICA』2022年4月号 p.34)
「クロノスタシス」の制作開始と『名探偵コナン ハロウィンの花嫁』の主題歌決定のどちらが先だったのか、明言はされていない。
また、BUMP OF CHICKENの楽曲はこれまでにも様々なアニメや映画などの主題歌となったが、かつて藤原基央はこう述べた。
僕は僕の曲の書き方しか知らないし、僕の言葉しか書けないんだよね。僕の知っている感情、知っている現象しか書けないので。よくファンレターで、『あそこの部分のあの歌詞はあのキャラクターのこういう気持ちを表しているんですよね』みたいなこと言われるんだけど、それは本当に困ってしまいます。そう思ってくれるのは君の勝手だけど、重なるところを抽出しただけで、僕の心情だし。なんか、……わかりますかね?
よって、本稿では映画『名探偵コナン ハロウィンの花嫁』については考察せず、楽曲「クロノスタシス」についてのみ考察する。
さっそく歌詞を読んでみよう。
明け方 多分夢を見ていた
思い出そうとはしなかった
懐かしさが足跡みたいに
証拠として残っていたから
BUMPのリスナーなら毎度おなじみの、藤原基央らしい表現だ。藤原基央は身体性を重視する。この歌詞では、客観的に説明できる夢の情報よりも、懐かしさの感触を重視している。潔さがある。
大通り
誰かの落とした約束が
跨がれていく
極めて秀逸だ。これほど短いフレーズで、重層的な意味を端的に表現している。短歌のようだ。誰かにとって大切な約束は、別の誰かにとっては何の価値もない。だから跨がれている。
この街は居場所を隠している
仲間外れ達の行列
ここではドラムとベースのリズムが足音のようだ。「達」という言葉で複数人を表現していることが重要だ。たくさんの人たちがいる「街」では、他人の居場所など分からない。直前のフレーズに続き、否定も肯定もせず、ただ淡々と歌う。「Small world」と「銀河鉄道」にもよく似た着眼点があった。
飾られた古い絵画のように
秒針の止まった記憶の中
何回も聞いた 君の声が
しまっていた言葉を まだ 探している
「何回も聞いた 君の声」は、ずっと前から聞いていたお馴染みの声という意味だろう。「しまっていた言葉」については最後に考察する。「秒針の止まった」はタイトル「クロノスタシス」に繋がる。
「クロノスタシス」のジャケットは、時計のようでもあるが、「飾られた古い絵画」のようにも見える。
![](https://assets.st-note.com/img/1650101739523-NeH2Gf3ID0.jpg?width=1200)
画像出典:https://www.bumpofchicken.com/discography/detail/71/
ジャケットは近年のBUMP OF CHICKENのアートワークを数多く手がけてきたVERDYがデザインしており、楽曲からインスパイアされた抽象的な時計が描かれている。
次に2番だ。曲の雰囲気が少し明るくなる。
ビルボードの上 雲の隙間に
小さな点滅を見送った
ここにいると教えるみたいに
遠くなって消えていった
この歌詞の着想がインタビュー記事に掲載されていた。
藤原基央が友達と会ったとき、空を見上げたら移動する光が見え、それがISS(国際宇宙ステーション)だったことがわかった。別のときには空を横切っていく飛行機の光の点滅を見た。藤原基央はその光の中にいる人たちに想いを馳せた。
以上が藤原基央の発言の要約だ(出典:雑誌『MUSICA』2022年4月号p.37)。
1番の歌詞に引き続き2番でも、知らない他人たちの動きが描写されている。
次に2番のサビだ。
君のいない 世界の中で
息をする理由に応えたい
「息をする」主体は「僕」のはずだ。人はだれでも無意識に息をする。「応える」とは自覚的だ。つまり「僕」は大切な何かを「僕」の中に抱えている。その何かのお陰で「僕」は生きている。その何かに自覚的に応えたい。つまり無自覚的な身体と自覚的な頭脳が対比されている。1番の「懐かしさ」と「思い出そう」の対比と同じだ。
僕の奥 残ったひと欠片
時計にも消せなかったもの
枯れた喉を 振り絞って
いつか君に伝えたいことがあるだろう
「欠片」は固体だろう。液体や気体を「欠片」とは言わない。「宝石になった日」でも、時間が流れても消えない変わらない大切なものの比喩として「宝石」という言葉があった。
「クロノスタシス」では、静と動が対比されている。
部屋を出る僕は動いている。大通りで誰かの落とした約束を跨いでいく人々は動いている。雲の隙間で点滅する光は動いている。時計の秒針は動いている。
僕の奥に残ったひと欠片は止まっている。飾られた古い絵画は止まっている。時計の秒針は止まっている。
それっぽい台詞で誤魔化した
必要に応じて笑ったりした
拾わなかった瞬間ばかり どうしてこんなに
今更いちいち眩しい
ここではエコーがかかっている。エコーの効果で、過去、今、未来のどれにも当てはまらない宙ぶらりんな浮遊感が表れている。「今更いちいち眩しい」の歌声は、うっとうしいという気持ちにも、嬉しい気持ちにも聴こえる。この曖昧さこそが「クロノスタシス」の真骨頂だ。
2番では「いつか君に伝えたいことがあるだろう」と歌うが、3番では「いつか君に伝えたいことが」で途切れている。これは藤原基央が初期の歌詞から使っている、反復と対比の手法だ。その曲の中でほとんど同じ歌詞を繰り返すが、一部だけを変える。そのズレが深みを生む。
失くしたくないものがあったよ
帰りたい場所だってあったよ
「あったよ」と過去形で歌いつつ、今はどうなのかを明言しない。
鮮明に繰り返す 君の声が
運んできた答えを まだ
しまっていた言葉を 今 探している
1番では「しまっていた言葉を まだ 探している」だったが最後は「今」に変わっている。これも藤原基央の反復と対比の手法だ。「天体観測」でも現在形と過去形が対比され、「イマ」と「今」が強調されていた。
「クロノスタシス」の歌詞はここで終わりだ。
「しまっていた言葉」とは何だろう。結局、はっきりとは歌詞にされていない。「しまっていた言葉」は普通の「言葉」ではないだろう。
「花の名」にはこんな歌詞があった。
簡単な事なのに どうして言えないんだろう
言えない事なのに どうして伝わるんだろう
「しまっていた言葉」は客観的に説明できる言葉ではない。身体的な感触のある「言葉」だ。言葉にはできない「言葉」だ。
雑誌『MUSICA』に掲載された「クロノスタシス」のインタビュー記事から藤原基央の発言を引用しよう。
あらゆる言葉は世の中全員のものなわけですけど、そういうたくさんの言葉の中で自分にとって強い意味合いを持つ言葉っていうのは、人それぞれが自分の人生の中でその意味合いをつけていったものだと思うんです。だからこそ、みんなそれぞれに言われて嬉しい言葉とか嫌な言葉とか、テンションが上がる言葉とかげんなりする言葉とか違うわけで。で、僕が歌詞を書く上で、そうやって意味合いがつく前の状態の言葉が凄く大事なんですよね。
(中略)
そのフラットさを大事にしたい
ここでタイトルの「クロノスタシス」について考えたい。
まずは「クロノスタシス」という単語の意味を Wikipedia から引用しよう。
クロノスタシス(英:Chronostasis)は、サッカード(英語版)と呼ばれる速い眼球運動の直後に目にした最初の映像が、長く続いて見えるという錯覚である。
(中略)
よく知られる例として「時計の針が止まって見える現象」がある。アナログ時計に目を向けると、秒針の動きが示す最初の1秒間がその次の1秒間より長く見えるというものである
藤原基央はこう語った。
その瞬間から逃がしてもらえないみたいな、その瞬間に閉じ込められちゃったみたいな、そういう感覚
(中略)
パッと時計を見た時になかなか秒針が進まないみたいな感覚を覚えることってあるじゃないですか
(中略)
普通に時間は進んで生きてきているわけだけど、自分の中にあるどこかの部分はまだそこに対して答えを出せていない
この歌詞は今まで以上にはっきりしないものをはっきりと書いた気がする。
(中略)
定義づけられないんだけどずっとそこと向き合って生きている部分って、誰にでもあると思うんですよ。
(中略)
だけどエネルギーの質量だけがもの凄くある――そういうものを日常という非常に表情豊かな仮面の奥にしまってそれぞれが生きていて、そうやって交差点が大勢の人たちで賑わうんだろうなっていう…………
「表情豊かな仮面」という表現が独特だ。「顔」でなく「仮面」だ。ここで藤原基央が言った「しまって」という表現は、歌詞の「しまっていた言葉」に通じる。
楽曲「クロノスタシス」には、全体を通し四本の軸がある。
一つは、意味合いがつく前のフラットな状態を捉えること、だから否定も肯定もしないということだ。
一つは、答えのわからなさ、定義づけることができない何か大切なものだ。
一つは、互いを知らない人たちがバラバラに生きていること、それぞれが大切な何かを他人には知られずに生きているということだ。
一つは、流れていく時間と止まったように感じる時間のズレだ。
この四本の軸のうち一本や二本や三本でも歌詞にはなるが、四本すべてを一曲にまとめ上げたことで、互いの本質を補完し合い、歌詞が重層化している。
ふとした瞬間に、自分の時間が止まったように感じ、何か大切なものの感触を思い出すことがある。答えが何なのかも分からず、立ち止まるべきか、進むべきかも分からない。否定も肯定もしない。淡々と時間が刻まれていく。自分にとって大切な何かを他人と共有することは難しく、他人の大切な何かを知ることも難しい。
「言葉」はたくさんの人たちが共通して使う。「大通り」と「街」もたくさんの人たちが共通して使う。だから意味合いがつく前の「言葉」がフラットであるように、「大通り」と「街」もフラットである。「大通り」や「街」にいる人たちを否定せず肯定もしないが、それでも自分の知らない他人たちの人生に想いを馳せる。「大通り」や「街」を歩く人たちには「約束」があり、「しまっていた言葉」があるはずだ。
「クロノスタシス」は、このわからなさをそのまま歌っている。
そして「クロノスタシス」のサウンドが歌詞と相乗効果を生んでいる。
雑誌『MUSICA』のインタビュアーである鹿野淳は、BUMP OF CHICKEN の過去曲と比べるとメロディやアレンジが新鮮だと指摘した。藤原基央は次のように語った。
イントロのアルペジオがあるじゃないですか。あれは完成した音源ではギターとシンセで同じフレーズをユニゾンしてるんですけど、そのアルペジオをアコギで弾くところから曲作りが始まったんですね
アルペジオに引っ張られる形で歌っていきながら歌メロが出てきて。そこで何かバッキングを足すことも考えられるんだけど、でもこれを補強するコードストロークとかはなくていい、このアルペジオだけでいいでしょ、みたいな判断をしたんですよね。引き算していこうみたいな感じだった。だから音像は1個1個、割とわかりやすくなっていますね
また、今まで以上に演奏にシビアに取り組んだこと、休符にこだわったこと、ベースのチャマが苦労したことを藤原基央は語った。
近年の BUMP OF CHICKEN の楽曲は音の数が少ない傾向にある。「クロノスタシス」の場合は、動いている秒針が止まって再び動くまでの空白、他人との距離、定義づけられない何か大切なもの、答えのわからなさ、それらの感触が、音の数の少なさによって効果的に表現されている。
BUMPの歌詞の本質は初期のころから一貫しているが、歌詞とサウンドの両方で、着実に前に進み、深みを増している。「クロノスタシス」は名曲だ。
以上です。ありがとうございました。
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