【人間探求note】好き嫌いと「正しさ」のジャッジの違い
ある人が、カレーは大好き。にんじは大嫌い。
その人がレストランでカレーを頼みました。
そうしたら、カレーの味はとっても美味しいのですが、大きな人参がゴロッといくつか入っていました。
嫌いなら、にんじんは端っこによけて、そのままカレーを食べたらいいですね。
にんじんは食べなくても、カレーの中ににんじんの出汁が出ていて、カレーの美味しさに貢献しています。
なんなら、一緒に行った友達が、「オレ、にんじん好きだから、食べないならもらうねっ!」と持って行ってくれたりするかもしれません。
ところが、もしにんじんがあまりにも嫌いで、憎しみさえ抱いていたなら、
「私の大好きなカレーににんじんを入れるなんて、間違ってる!💢」
「にんじんなんか何のためにあるんだ!許せない💢」
と言って、にんじんにフォークを突き刺して分解したり、スプーンで潰したり…《にんじんの存在を消そう》と躍起になったりして。
すると、かえってカレーの中からにんじんをよけることが出来なくなり、結局その人はカレーを食べることが出来なくなりました。
しかも、とっても気分が悪い。
これは、今朝ほど、あちらの世界から私に送られてきたイメージのメッセージです。
私にメッセージを伝えてくるエネルギー体たちは、例え話が好きで、時々こんなのを見せてくれます。
分かりやすいなと思ったので、シェアしています。
好きでないものには、手をつけず、反応せず、そのまま・あるままにしておいて、自分の好きなものを淡々と選択する。
そうしたら、天のシステム(=全体意識)が欲しくないものは上手いこと取り除くなりなんなり、対処してくれる。
自由意志と宇宙にお任せについての、微妙な例え話…として送ってきたのかな…と思いました。
ひとり一宇宙の、「わたし宇宙」の効率の良い創造の仕方なのかもしれません。
ピンときたら生かして、「違うな」と思ったら忘れてください。
私はにんじん好きです。🥕💕
彩りにもなるし、生でサラダに入れても、煮物やスープに入れても美味しいですよね。😊
サポートいただきありがとうございます。いただいたサポートは、参考図書の購入など、更に良い記事を書くために使わせて頂いています。