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口には出さねど、現実化するお金のビリーフ

お金上手さんへの道

 昨日、ふと目に飛び込んだメール、マネキャリ手帳という1冊が3か月分という手帳のクラファンの案内、開発者は笠井加予さん。手帳に自分の願望やら日々のお金のことなど書き込める様式のようだ。彼女の経歴をみると、年収100万からの借金5000万円Σ( ̄□ ̄|||) からの 今は個人資産2億円とある。
先日読書会をした、市居愛さんの「お金じょうずさんのちいさな習慣」でも手帳には予定と予算と残高を書くとある。参加者と一緒に21日間新しい習慣が定着するようにと、グループラインまで組んだ私としては手帳にあれこれかかなければならない。しかし愛用しているCITTA手帳では、スぺース足りない問題が浮上してきたところなので、マネーに特化した手帳は入手せねばなるまい!! 迷わず3か月分の手帳と動画セミナーをクラファンポチ
 なにをどうしたら、年収100万円借金5000万円から、資産2億円になるのか、ご本人の著者も調べ、こちらもAmazonポチ。

貯金0でも、お金に強い女になれる本

こちらの著書。
本はまだ届いていない。手帳も届くのは3月20日頃。
Amazonレビューを眺めるとこんな一文が目に留まる。

”以下アマゾンレビュー はじめさんの文章引用ー-------
「間違ったお金の『ビリーフ』に人生を支配されている」ということが本当の意味で不幸なんだということが分かりました。
(お金の『ビリーフ』について知りたい方は書籍をご一読ください)
「お金があれば何でもできる」という『お金の万能感』に
過剰に振り回され、「私よりお金の方が価値がある」と感じる。
そんな、お金に対する不健康な考え方、付き合い方を改めなければいくらお金を手に入れても、失う恐怖に怯えて生きることになる。そう、思いました。
評価軸が「自分」ではなく「お金」になりますから、それを失うことは生きる価値を失うことになります。お金を失って自殺する人は、恐らくこの「間違ったビリーフ」に支配されています。
”引用ここまでー------------------

Amazon 貯金0でもお金に強い女になる レビューより

同じビリーフをもった、オーナーと雇われ社長

私が抱いていたお金のビリーフも「私の存在よりお金の方が価値がある。」言語化出来ていたわけではないけれど、「お金を使ってしまった…。」「減ってしまった…。」お金を使うたび、通帳残高をみるたびに「大変なことをした。」そんな私の感覚を上記、はじめさんのレビューが本当に上手に表している。
”評価軸がお金ですから、それを失うことは生きる価値を失うことにある”
私にとって、お金を使うこと、お金がなくなることは死の恐怖に近かった。

M&Aで事業共同パートナー、株主だった方もそうだった、と今ならわかる。
 「自分より、お金の方に価値がある」
 「事業パートナーや事業そのものより、お金の方に価値がある」というビリーフを持っていらっしゃった。
 もちろん、そんなことは一切公言しないし、今もご自身でも気付いていらっしゃらないだろう。
 勤務先でM&Aを数多く手掛け、独立後もM&Aやお金のプロを自負され且つ「僕はお金にきれいだ」と、公言された。
 けれど、オーナーとなられた事業運営が、傾いたとき、他責に舵を切り、本音の本音が行動を通して露わになった。
 その行動は「事業そのものより、お金の方に価値がある」
という彼のビリーフに相応しいものだった。

私のビリーフも「私より、お金の方が価値がある」。
だから、一旦売上の3割が失われ、その後9割を失うという流れに直面した時、なんてことになってしまったんだろうと、身を切るような死にそうな気分を味わう。   
 
私より、企業価値、会社のお金に価値があるという価値観だったので、私の舵は自責に向かい、自分を責めて、地獄のような気分を3日ぐらい味わった。
 「私より、お金の方に価値がある」という信じ込みを持つているとき、売上減少という自分以上に価値あるものが失われるという恐怖は、死の恐怖に値する。

ビリーフは同じでも対応は真逆

 この恐怖を他責にむけると、
自分より価値あり、
事業運営より価値ある
「お金を守る」ために
早急な行動に走るのは、
本人にとって至極合理的。
 元オーナーさんの選択は、
 理解はしないし、共感もできないけれど、このAmazonレビューを読んで背景にあった信じ込みはわかった。
 私は自責になって、
 だから、一瞬仕方ないか…、全て私の責任と考えた。
 ただ同時に 自責や死の恐怖それ一辺倒ではなかった。
 確かにある一瞬、死ぬ程の恐怖は感じたけれど、これ上気持ち落ちようがないよ、という底付きまで行ったときに、
倫理法人会の倫理指導を受ける機会を頂き、
死ぬほどの恐怖はそこで終わり、
ゆっくりと次どうするかに思考へ切りかえが始まった。
プールの底に足が付いて、そこから水面を目指し浮上していく感覚にちかい。
ただ、状況はそれから更に「悪化の一途」を辿った。

プールから上がってみた風景

他責だろうが、自責だろうが、看板をあげている限りサービス提供は続けなければならないし、事業は縮小しながらも回っている。
それでも、決着は付き、私は優れた専門家の方々の尽力を得て、事業から完全に手を放すことが出来た。
私が撤退することでだれ一人泣く人を出さなかった。むしろ、元社員さんや元スタッフさんの働く環境はよくなった。事務所の大家さんや物件のオーナーさんにも迷惑はかけず、行政も金融機関も撤退に理解を示してくれた。

~された、という発想は持たないが、それでもなぜ、一瞬でも同じ船に乗ったのかその「解」を私は探していた。
自分と同じ要素のない人とは出会うことはない。なにが同じだったのか、が自分の中の問いだった。
「お金の方が自分より価値があるという」のビリーフが同じだったのだ。 ただその思いが自責に向かうか、他責に向かうかの違いだけ。
輪っかの端と端でセンターにあるビリーフは同じということだ。
このレビューを読んで深く身に沁みた。
雇われ社長の経験はこのお金のビリーフに気付くためにあったのかと思うぐらいだ。

自己責任の時代

「お金のビリーフ」は7歳までに刷り込まれているモノらしい。だから、本人も気が付いていないことが多い。
どんなお金のビリーフをもっていようと、私たちの親世代までは、個人の人生の責任を、働いている間は企業が、大きな枠では国家が面倒見てくれていた。だからビリーフが少々不健康でも普通に生き抜くことはできた。

これからは、当たり前に自己責任の時代。
個々人が自分の持っているお金のビリーフに気付き、不都合なビリーフは手放し、自分で人生をデザインする時代が到来している。
持っているビリーフによってつくる現実が変わってくる。
自分が何を信じ込んでいるかを今一度点検してみよう。 











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京都で「知的資産とビジネスモデルの専門家」として、活動しています。現在は内閣府の経営デザインシートの普及に勤めています。