見出し画像

「心の綺麗な悲劇のヒロイン」という矛盾。

最近はちょいちょい映画やアニメなどを見ているんだけど、

仕方のない話だけど、現実世界と同程度に「引き寄せの法則」が作用している物語は、ほぼ皆無だ(笑)


だいたい、「とてもポジティブで、前向きで、優しくて、いつも笑顔で、感謝の気持ちを忘れない」ような登場人物が、突然殺されたりする(笑)

仏みたいにニコニコしながら、周囲に感謝や親切を振りまいてる人が、突然不治の病に苦しみ始めたり、事故に遭って苦しんだり、悪い人からひどい被害を受けたりする。

これは現実ではまずあり得ないことだ。

いや、「物質世界で生きるのは、もういいかな。そろそろ死のうかな」と意図していたなら、ポジティブな内面のまま、突然事故などで死ぬことはあり得る。

でもそうでなければ、「すごくポジティブな内面でいながら、すごくネガティブな現実に苦しむ」ということはあり得ない。


しかも多くの物語では、「心優しい登場人物」は、悲劇が起こった後も、比較的ポジティブな精神状態を保っていたりする。

それならすぐ解決しそうなものだが、物語の世界ではそうはいかない。なぜか悲劇が長年続いたりする。

やはり引き寄せの法則ではない、独自の物理法則が働いているらしい。


まあそれはフィクションだからいいとして、

上記のように、私は多くの物語に矛盾を感じるが、それでもなぜ楽しむのかというと、その独自の世界の中で描かれる情緒や、豊かな描写を楽しんでいる。


特に、心理描写がしっかりしているものが好きだ。

某有名アメリカ映画などでは、登場人物の心理的な葛藤などを、申し訳程度にペラッと描くものも多いが(笑)、これは個人的に好みでは無い。

そうでなくとも、心理学に矛盾するような心理描写は好きでは無いのだ。

例えば、過去の重いトラウマを引きずっていて、まさに苦しんでいる最中だと言うのに、対人関係において「めんどくさいメンヘラ」になっていない人など、意味がわからないw

現実世界でそういう状態の人は、内面の葛藤や苦しみがそのまま表に出て、感情的になるか、

または他者の前では感情を抑圧し、平気なフリをしていて、一人になった時に感情が溢れ出るか。

だいたいそのどちらかだと思うのだが、

物語の中でそういう描写が全くなく、「どこまでも心が綺麗な、悲劇のヒロイン」が描かれるのは、あまり納得がいかないのだ。


他にも、「なぜそのトラウマから、現在こうなるのか!?」というような、意味不明な心理描写も好きではないw

現実世界では、「こういう内容の体験をしたら→だいたいこういう信念を持ちやすいだろう」という、大まかなパターンはあると思うのだが…。


そういう作品とは対照的に、過去のトラウマから現在の振る舞いまでの辻褄が合っている物語は、私は好きだ。

例えば、先日、私が良かったと感じたストーリーがある。

ある人が、あるコミュニティを恐怖で統治していた。脅迫して従わせたり、脱退を試みた人を殺して見せしめにしたり。

その人が最終的に、「本当は最愛の人に謝りたかった」「本当に欲しかったのは愛や許しだった」という本音に気づく、というもの。

「本当に欲しかったものは、実はもう持っていたが、自分で壊した」と気づいて罪悪感に襲われるが、その罪悪感があまりにも大きかったために、正当化して感情を抑圧するようになる…これがトラウマの内容だった。

これを見たとき私は、「まさにその通り!」と心の中で拍手をしたw

恐怖政治のボスや、そこまでいかなくても威圧的な人なんかは、この現実世界でもみんなそんな感じだ。

自分に価値があるという感覚、自分はパワーを持っているという感覚、認められ愛されている感覚。そういうものが欲しいだけだ。

そして、それらはもうすでに持っているのだ。(ソースと同調した感覚なのだから)

なのにそこを見失って、自分の感情を見て見ぬふりをしたり、「こうすれば自分の欲求が満たされるはずだ」という間違った思い込みがエスカレートした結果、他者に圧力をかける行動に走ってしまう、ということだ。


こんな風に心理学的に辻褄の合うストーリーが、個人的には納得できるのだ(笑)

まあそこの辻褄こそ合っていれど、そういう人からの被害を受けるのが「ポジティブな心優しい登場人物」だったりするから、その点は引き寄せの法則には反するのだが。


現実では、感情が釣り合っている人しか、加害者からの被害を受けない。

本当にポジティブで優しくて愛と感謝が溢れている人は、まずそういう加害者とは関われないし、

万が一、ちょっと関わってちょっと嫌な思いをしたとしても、すぐにその体験は終了して、その後のより幸福な人生につなげていける。

実際に被害に合う人は、だいたい長年ネガティブなことを思考し続けていて、

「この世界は理不尽だ、不公平だ」
「今日もこんなに嫌なことがあった!最悪だ!」
「自分は価値のない人間だから、あれもこれもやらなければ。」
「自分のような正しく清らかな人間が幸福になるはずなのに、なぜあんな強欲な怠け者の方が恵まれているのだ?きっと裏で悪いことをしているに違いない!」

などなど、ひどくネガティブなことを考えていたりするものだ。


それほど機嫌が悪ければ、同じく機嫌の悪い加害者と関わってしまっても仕方がない。

嫌な出来事を体験するから→ネガティブな思考が湧く

のではなく、

ネガティブな思考を続けているから→ますます嫌な出来事が起こる

という順番なのだ。


では、正義のヒーローはどうか?フィクションだけでなく、どうして現実でも、悪に攻撃されるのか?

それは「悪は絶対に許さない!」という批判の思考をしているからでは無いのか。

この思考をしているときに、気分がいいだろうか?

活き活きとした、前向きなワクワクを感じているだろうか?

リラックスして身体が緩む感覚はあるだろうか?

戦いが本当にやりたいことだとして、リラックスしてワクワクしながら、前向きに戦うなら、きっと戦わずして勝てるはずだ。

戦の神と呼ばれたような偉人たちは、そういう内面では無かっただろうか。

「いつも機嫌が良い、清らかな心を持った、悲劇のヒロイン」は存在しないことが、今後もっと一般常識になったらいいのだが。

ありがとうございます☺️