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親が認知症かな?と思ったら〜難病と診断されるまで3年間かかりました〜

母は67歳の時に進行性核上性麻痺という指定難病の診断を受けました。
そこに至るまで、たくさんの診療科を受診しました。

歳相応です、なんでもないです、様子を見ましょう。
そういわれ続けて途方に暮れながら、私は母に病名を付けたいだけなんじゃないか?そう思ったりもしました。

もし、いま大切な人に
「なんか変、なにかある」

と思ったら、それはきっと何かあるのだと思います。

たった一人の事例でもヒントになることがあると思うので、母の診断に至るまでの気づきをまとめます。

※これはあくまで私の母の診断確定までの記録です。実際の診断に至っては専門の医師にご相談ください。

診断を受けるまでの母の変化

①会話が噛み合わないことが増えた


母の異変に気付き始めたのは5年ほど前、母が63歳のころでした。
私が話している内容と全く違うことを突然話し出します。

私「来年の新年会どうしようか?どこか予約する?」

母「ん~そうだね、気を付けないといけないんだって!」

私「何を気を付けるの?」

母「あれよ、乾燥しちゃうから」

もともと自由な母だったので、
人の話を聞いていないのだと思って何度も注意しました。

「今、新年会の話をしているんだよ」と。
そうすると、「ごめんごめん、新年会、どうする?」と返ってきます。

話が急に飛んだり、会話を聞いていないような反応をします。
また、会話の途中でも目に飛び込んできた看板の文字「お金お貸しします。」を突然読み始めたりしました。

これはよく言う認知症とは何かが違う。
そう思いつつも、長谷川式認知症スケールテストを行っても満点
しばらく様子を見ました。

②ふらつきや転ぶ回数が増えた(頭を負傷する)

少しずつ少しずつ、ふらつきが増えました。
めまいのようにグルグル目が回ることはない、立ちくらみでもない、
とは母いいます。
・方向を変えた時(ドアを開けて廊下に出るなど)
・椅子に座る時
・重心が移動した時(ドアを開ける、少し遠くのものを取る)

また、転倒する回数も増えました。
大抵後方に倒れて頭を打つか、重心の傾いている前方に倒れ顔を打ちます。
・植木鉢を移動する
・階段に登る
・窓を閉める

最初は、「本当におっちょこちょいだなぁ、もっと注意してね。」そう伝えていましたが、伝えても伝えても転びます。
日に日に転ぶ回数が増え、気づけば歩く時に常に掴むものを探していました。

③姿勢の保持ができなくなった

母はとても姿勢の良い人でした。
そんな彼女が後ろ体重になって、ふんぞり返るような姿勢で食事をしていたり、体がいつも右方向に傾いてそのまま倒れ込むような姿勢で食事をするようになりました。
もともと側弯症を患っていたのでその影響もあるかなと思います。

④字を書くのが下手になった

母は、とても時の上手な筆まめな人でした。
文章もとても上手で、母の手紙が大好きでした。
会話が噛み合わないなと感じ初めて1年後にもらった手紙を読んだ時、やっぱり変だと思いました。
字が下手になり、文章にまとまりがなく、漢字を使う回数が減っていました。

左が8年前、右が4年前です。この手紙が違和感を与えるきっかけになりました。

元気な頃の母の手紙を久しぶりに読んで、切ない気持ちになります。

⑤うつ症状が出てきた

「毎日、早く夜が来ればいいって思ってるの。
夕方、雨戸を閉めるとホッとするの。」

「なにもできなくなっちゃったから」「わからないから」
否定的な言葉が増え、ケセラセラ〜な母が消えました。
これは、うつ病かもしれない。そう思いました。

何かに受診するべきか?という問題。

一番困ったのは、何かに受診していいのかわからないと言う問題でした。

脳神経外科

転んで頭を強く打ったため、CTを取るために脳神経外科を受診しました。その際に、認知症の可能性がないかも含め、検査してもらうことにしました。

結果は、多少の脳の萎縮はみられるものの、歳相応とのことで、診断に至りませんでした。

整形外科

側弯症という背骨が左右に曲がっている病気を持っていたので、それが原因で転んでしまうのではないか?と思い、整形外科に行きました。

真っ直ぐに歩くテストや、片足で立つテストをしました。
「ん〜側弯はひどいけど、手術するわけでもないし、経過観察だね」
と、言われ解決しませんでした。

脳神経内科

周りの人に相談したらパーキンソン病ではないか?という指摘を受けました。実際、インターネットで「転ぶ・病気」と調べると、パーキンソン病や小脳の病気などがヒットします。
症状を一つ一つみると当てはまらないものが多かったものの、脳神経内科を受診しました。

他院で撮ったCT・MRI・筋力検査や血液検査を受け、やはりこちらも問題なし、と診断されました。
また、あまりにもサラッと「問題ない、症状がもっと強くなってからね、神経内科は終診にしますね」と言われたことに、私も心が折れました。

問題があるからこんなに調べているし、経過も悪化しているのに。
もしかしたら私が母を病気と決めつけているだけなのかもしれない。そう思うようになりました。

このころから、母は受診も検査も疲れ、診断がつかないが徐々に変化していく身体に対して、気持ちが落ち込んでいきました。


「転ぶこと」と「認知の症状」が両方出ているから混乱しているけれど、別物なのでは?と考えるようになりました。


眼科

転ぶのは見えていないからじゃないか?視野が欠損しているのではないか?
そう思い、眼科にいきました。
白内障と緑内障を指摘され、「だからか!これだ!」と思い、少し気持ちが晴れました。
どちらも手術をしましたが、結局転倒は減らず、悪化する一方でした。

精神科

あまりにも母の気持ちが落ち込んでいく姿に、これは心のケアが必要と判断しました。
調べていくうちに、「老人性うつ」ではないか?と頭をよぎりました。
うつ症状と認知症のような症状がでる、と知り老人性うつの専門の先生を訪ねました。

精神科の先生は、時間をかけて問診をしてくださり、薬によって心はだいぶ軽やかになったように見えました。ただ、あまりにも転ぶことに精神科の先生が、やはり脳神経内科でもう一度見てもらったほうがいいと提案してくれました。

ただ、脳神経内科で嫌な思いをしているので、そのことも伝えると、
「僕が一番信頼している先生に、丁寧に説明するから行ってみて」
そう言われ、再度別の先生を受診することにしました。

再び脳神経内科

紹介を受けて、別の先生を受診しました。
初めの受診で言われたことを今でも覚えています。

たくさんの科を受診してきたんですね、でももうやめてください。
簡単にわかる病気じゃないと言うことです。
他の病院、他の科にいったら、また一から探さないといけません。
ここで、一つ一つ、可能性のある病気を潰していくしかないんです。
これからたくさん検査をします。
それは、その疾患の可能性を検査で潰すためです。
私を主軸に、いろいろな病院に出向いてもらうかもしれませんが、
ベースはここにおいてください。
それから、どんな小さなことでもいいので気づいたことは言ってください。
それがヒントになることもあります。

今までも受診の際は母の症状を書いたメモを持っていきましたが、サラッと流されている感じがしました。
でも、この時は私のメモを全てカルテに書き写して、詳細を聞かれました。

実際にメモに記したこと
・転んだシチュエーションや回数
・いつ、何かに受診してどんな検査を受けたか
・会話でおかしいと感じた内容
・文字が下手になっていること
・本を読まなくなったこと
・においを感じなくなったこと(コーヒーの匂いはわかるのに赤ちゃんの便の臭いはわからない)
・アイパッドのパネルのタッチがミスが多いこと
・文字を突然読み上げること
・味覚が変わって甘いものを突然食べ始めたこと
・裁縫をやらなくなったこと
・花瓶を割る機会が増えたこと

母はその初診からたくさんの検査をし、いくつかの薬を試し、数ヶ月後に診断が降りました。

「進行性核上性麻痺で間違いないと思います。」

国の指定難病で、治療法はない、そう言われても、なんだかとてもスッキリしました。
やっと、さぁ次はどうしよう?と前に進める。
母も、「診断名がついて、よかった。やっぱり、変だったもの」
そう言って笑っていました。

まとめ〜診断をうけるまでの3年〜

3年間、本当に長かった気がします。でも、正直に言うと、最初の2年は本気で病気を探していませんでした。

近くで見ている親戚から連絡が来ても、「うんうん、歳じゃない?もともとそう言うところあるよ」と、そんなふうに面倒だな。と思っていました。

母の受診のために時間を割けるようになったのは、長男の産休で時間ができたからです。それでも、コロナ禍で赤ちゃんを連れて、転ぶ母と受診するのはやはり心が折れました。

今、言えることは
・細かなこともメモして先生に伝える
・信頼できる先生に出会えるまでは多少病院を変えてみるのも一つの手
・一生懸命な先生を見つけたらその機会を逃さない

先生に関しては出会いなので、たまたま出会えた精神科の先生と脳神経内科の先生には感謝してもしきれません。

診断名がつかず、困っている方へ。わずかでも力になれたら幸いです。













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