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好きの要素には表層と深層がある
ゴルフのどこが好きなのか
前回の振り返り
ゴルフを好きな理由として前回の記事で以下のものを挙げました。
誰にも邪魔されない
審判がいない
相手の失敗を祈らなくていい
結果が自己責任である
ゴルフ場に行くまでのドライブが楽しい
仲良しメンバーで過ごす時間が楽しい
クラブハウスでの高貴な雰囲気が好き
自分と同じようにゴルフを愛する人が集まる場所として好き
そんなゴルフに対してわたしは
自分がより快適な時間を過ごすための手段の1つ
であると結論付けました。
しかしこれらの好きの理由の中にも優劣があり
どんなところに最も快感を感じているのかを
過去と現在のゴルフとの関わり方と自身の体験から
探りたいと思います。
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過去と現在のゴルフとわたし
学生時代のゴルフ生活では
ベストスコアを更新した時
大会でいいスコアが出た時
が最も快感を得られたと記憶しています。
現在のゴルフの頻度は
ラウンドが月に6回ほどです。
練習はほとんどしていません。
現在はベストスコアが69ですが
練習量を考えると更新は難しいと感じています。
だいたい72ー85くらいで回ることが多いです。
それでも楽しくラウンドには行っており
ゴルフをすることに快感を得ています。
アマチュアの大会に顔を出すこともあります。
真剣にラウンドに取り組むのは楽しいです。
練習量は減っていることもあり
上位になって次のステージに進むことは少ないですが
大会でのラウンドにも快感を得ています。
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経験から考える
ゴルフと出会ってから12年が経ちます。
これまでのゴルフ生活で
最も快感を覚えた瞬間はいつだったのでしょうか。
それは大学生で大会に出た時のことでした。
最終日の最終ホールでのことです。
その日の後半は最終ホールを残して2アンダーで回っていました。
当時の私の実力の限界を超えており
まさに「ゾーンに入っている」状態でした。
大幅なベストスコア更新が確定的でした。
ギャラリーが多く見ている状況で
打ったパー4の第2打はピン側1mに付けるスーパーショットになりました。
歓声に高まるテンションを抑えながらバーディーパットを沈めました。
この時の快感は忘れようのないものです。
この体験には私がゴルフに快感を覚える
要素がいくつか入り込んでいます。
大会であり集中してラウンドができたこと
上手なライバルと張り合いながらラウンドしたこと
ベストスコアを更新したこと
ギャラリーに自身の凄さを知らしめたこと
イメージ通りの打球を打てたこと
集中してラウンドをできたことは快感でした。
今はそれほど大会に固執しているわけではなく
良い成績を残そうと練習をしているわけではありませんが
この快感の要素は今のラウンドにも通じているところがあります。
上手なライバルと張り合うことも快感になりますが
ライバルが必ずしもいなくてもラウンドで快感を得ることはできており
この要素は重要ではなさそうです。
しかし張り合うという行為は集中してラウンドする材料になります。
ベストスコアを更新することはとんでもなく快感であることは間違いありませんが現在はベストスコアの更新からは遠ざかっているにも関わらずゴルフには快感を覚えているので絶対的な快感の理由ではなさそうです。
ベストスコアを更新するプロセスが大切なのかもしれません。
自身の凄さを知らしめたことも快感ではあります。しかしこの要素が必要かというとそうではなかったことは前回の記事で判明しています。
イメージ通りの球を打てることは楽しい要素の1つです。
イメージ通りの球を打つことは1打1打の目的であり
それを達成することは快感です。
イメージ通りの球を打てなくてもラウンド自体は楽しく回れます。
しかし、すべてがイメージ通りではない打球であれば快感はないと思います。
イメージ通りの球を打てなくてもゴルフには次のチャンスがあります。
だから楽しいと思えるのでしょうか。
イメージ通りの球を打つことを続けるには集中力を要し
結果としてベストスコアの更新にもつながります。
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見えてきた答え
コントロールをしようとしたい
自分の中で大事にしているゴルフの要素が見えてきました。
集中してラウンドをするというのは
球を打つ瞬間の話になります。
なぜ集中するんでしょうか。
それはイメージ通りのいい球を打つためです。
その瞬間
自分はイメージ通りに
打球をコントロールしようとしています。
いやむしろ
その結果をコントロールしようとしています。
そして飛んで行った打球を見て
または転がっていった打球を見て
イメージ通りにコントロールできたのかの
結果をすぐに受け取ることができます。
イメージ通りに球を打てたことだけが快感なのではありません。
その一打一打を一生懸命コントロールしようとして
その結果をすぐに受け取れるプロセスが好きなのです。
ゴルフには1ラウンドでその機会が打数の数だけあります。
可能な限りコントロールするために
邪魔をする敵や審判はいないほうがいいのです。
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最も大切なプロセス
大切なのは
コントロールをしようと一生懸命になる
結果を受け取る
もっとコントロールしたいと思う
というプロセスにハマっているのであって
簡単にコントロールできてしまっては楽しさは半減してしまいます。
そしてコントロールしたい場面は次から次へと現れてほしいのです。
つまりこのプロセスの質と量がともに重要なのです。
ゴルフラウンドでのショットは
コースや打つ場所、狙う場所、天候などによって
難易度が変化します。
さらに言うとその難易度は他者から作り出された難易度ではありません。
そして自分のショットのターンはまさにコントロールバトルが始まるタイミングですが、それはラウンドが終わるまで、少し間があったとしても次から次へとやってきます。
そして一度として同じ場面はありません。
コントロールプロセスの質と量をともに担保してくれているのです。
わたしはコントロール中毒だったのです。
そして他者にコントロールされることを嫌います。
圧倒的なエゴイストの源がここにあり
それを最も満たしてくれるスポーツがゴルフなのだと気づきました。
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私の本質
以前の記事で家が好きだと話したり
タバコが嫌いだと話しました。
家は自分のコントロールが行き届く場所であり
他者にコントロールされない場所だから好きだったのです。
喫煙者を自分でコントロールできず
喫煙者によって(健康を害されたり風上に移動しなければいけなかったり)自分がコントロールされてしまう要素があったので
タバコが嫌いだったのです。
話は逸れましたが
わたしがなぜゴルフが好きなのか
の答えはこうです。
それは私の知る体験の中で
コントロールするプロセスを
これほど十分な質と量で提供してくれるものは
ゴルフしかないからです。
ではわたしはゴルフの領域で何をしたいのか。
わたしは
ゴルフという領域でコントロールしようとするプロセスを進化させて
より快感を得られるようにしたい
と思います。
お読みいただきありがとうございました。