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自己認識は自由でいい。ならやっぱり痩せようと思う

今週は、コテンラジオで認識の話を聞いたのでちょっと考えてみた。

認識っていかにも本当っぽくって、世間(コテン的にいうと架空の空間)の総意っぽくて、その上で自分の意思っぽいものだけど、人種によっても時代によってもすごく違うもの。

これを聞いた時に一番に浮かんだのがダイエットだった。てか女子の世界って認識でしかない。

痩せてる方がいい、二重の方がいい、勉強ができる方がいい、体が柔らかい方がいい…とか。

痩せてる、太ってる、二重、一重、モテ、非モテ、シゴでき、勉強デキ、軟体、体硬い。これらは優劣がつくものではなくて、ただの事象。

アイドルにとっては痩せてる方がいいかもしれないけど、もしタイタニックみたいに沈没したら脂肪がない方が早く死ぬ。二重は一重よりシワが多いし、勉強ができても活かせない仕事に就いたら意味がないし、いくら軟体だってデスクワークしてたら体が硬くなるし、スポーツによっては体が柔らかすぎると強くなれないこともある。

ある面から見たらその事象が良くも悪くも見える。そこに意味を見出せるかどうかは、認識による。思考の癖や生きてきた環境によって違うだけ。そして今の環境に適応しているかどうかで優劣のように見えているだけ。

たくさんの人のそれぞれの見方は、全部が正解でもあり不正解でもある。

ダイエットの必要性


私は世の女性の多くと同じで「細い=正義」の信者であり、ダイエットに正しく命をかけてたりしてる。細けりゃなんでもいいくらいの価値観の時代もあったはず。小枝みたいになるほどダイエットに取り憑かれていた人もいたし、リバウンドしすぎて痩せる太るを繰り返す人もいた。てか現在進行形でいる。

わかってる、健康を害してまで痩せなくていいはずなのは。
でも世間の主流はまだまだ「痩せてる=可愛い」だ。
太ったアイドルはこき下ろされるし、太った女優は劣化とされる。

フィールドは違えど「そう言われる女たちがいる」と思うと明日は我が身と震えてしまう。

反面、友達が太ったとしても「劣化w」とか思わないし、その子はその子だ。フツーに好きだし、痩せたいって言っても応援するし、そのままでもやっぱり好き。

これはどういうことなんだろう?
よく漫画で太った友達が痩せてきてモテはじめたら嫉妬で狂う女がいる。まだリアルで出会ったことはないが(痩せてモテたことがないから体感したことがないし元々周りがみんな痩せてた)、確かに痩せ始めると何かと食わそうとしてくる人はいたがその一種なのか…?
ダイエットを応援できるのは、そのままでも可愛いなんてぬるいことが言えるのは、自分との比較の対象ではないからか。比較の対象ではないということは無意識に自分が上だと認識してしまっているからなのか……!!

いやいやいや。
あえて逆に考えてみると、元彼を略奪してきた女が太っていたら「劣化オツw」とか思う(極悪)。じゃあやっぱり友達は恋愛のプレイヤーではないからなのか。男を取り合うと友情なんて粉と化すからか。

そういえば結婚してよかったことの一つに、恋愛市場から降りられたと安堵した覚えがある。恋愛は心が大きく動くせいで感情が激しく揺さぶられて本当にしんどい。いい経験ではあるけど、あの市場は体力をすごく使う。

こちらも友達もそのフィールドじゃなければ、本当に純粋にただ全部を好きになれるのかもしれない。見た目とかだけじゃなく、心地の良さと、会話のチョイスとテンポが分かり合ってる感じと、くだらないことで一生笑けるとこしか残らない。深いようでペラい、ペラいようで深い。ただただグダって笑ってる飲み会しか浮かばない。最高。そこにやっぱり見た目は一才関係ない。お互いにそうなのだとしたら、やっぱり最高だ。

ダイエットは、マインド武装

てことはやっぱり、嫌いだからこそ見た目が気になるのだと思う。アラを探す・探されるという認識があるし、これは多くの人にあってリアルなはずだ。だからこそ女優の劣化が囁かれるのだ。

私を嫌いな人が私を見た時、「劣化w」とか「デブス加速w」とか思われたくないが故に私は痩せたいのだ。他人軸で生きると人生狂いがちだが、私は人に与える印象まで自分だと思っている。万人に好かれたいわけではないが、揚げ足を取られたくはない。

つまりダイエットは武装のために必要なのだ。

メイクも、ヘアケアも、マツエクも、全てはマインド武装のためにある。自分の気持ちをアゲて心を守るソフト面と、つけいるスキを与えないというハード面の武装を兼ねている。

余談だがネイルはリアル武装で対戦・実戦型の枠に入る。

私はまだ健康を害するほど頑張って痩せたこともない。
そして「痩せ」こそ全てと今は思ってない。
友達も家族もいて、毎日このままでも幸せだ。

でも、それでも心の武装のために必要だから痩せたい。
私はやっぱりダイエットを頑張ろうと思う。

内面的にもやっぱりダイエットが要る

別の面からダイエットの必要性を考えてみる。

私は中身がめちゃくちゃゆるい。

ダルだるのゆるゆるで、漫画見ながらコタツで何か食べたりするのが至福。人にも甘い…というか興味がないから気にならないし、自分にもちゃんと甘い。

ただ自分のためのルールを作るのは好きで掃除の時間とか整頓の時間、皿洗いの時間はエクササイズ追加して〜とかの決まりは守る。そこは甘いとかゆるいとかじゃなくそうしたいからそうしてる。約束はちゃんと守りたいタイプ。あと簡単に見た目が整って見えるから整理整頓は特にすごく好きだ、スッキリする。

でも気づいたらあるホコリとかはどうしていいかわからない。ないものを掃除は出来ないのに、掃除しないと途端にある、気づいたらある。本当に困る。

つまり、全然ちゃんとしてるわけではないから、ちゃんとしてるふりをしたい人間だ。

見た目だけでも取り繕ってないと、ゆるだるが全部見えてしまう…!
これは耐え難い。かなり恥ずかしい。

人に見せてはだめな姿だという自負がある。この印象は最悪だ。

自分一人の世界ならそれでいいけど、家族の前でおならすらできない。私の中のなけなしの美意識だ。

それに中身と外見は違ってる方が面白いし、結果中身はにじんじゃうと思うけど、よくするための努力は怠らないでいたい。そう、この努力を怠らない、現状にあぐらをかかないという姿勢が大切だと思ってる。

そして、中身のまるみが表に出過ぎない見た目が欲しいからこそダイエットが必要なのだ。

ダイエットは自己認識の再定義

どうせ私はユルだるのあまちゃんなので、健康を害するほど痩せたりはしないだろう。多分そこまで頑張れない、でも理想はある。

今のままでダメだってわけじゃないけど、なりたい理想の姿に自分の中の自分の認識を再定義するには、ダイエットした方がやっぱりいい。

ダイエットいらない、ダイエット危険、ダイエット必須、ダイエットしろ、ダイエットやめろ、とかとか。

色々認識があって色々それぞれ思うけど、私は私のために今日もダイエット頑張ろうと思う。


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