寺山修司の短歌「むせぶごとく萌ゆる雑木の」
18歳のとき、寺山修司は『短歌研究』の「五十首応募作品」に投稿し、「特選」を得た。そのときの49首(1首欠けていた)のうちの一つ。
投稿時の歌全体の題は「父還せ」だったが、雑誌の編集長だった中井英夫は、「チエホフ祭」と改題した上で、34首(欠けていた1首を補った)だけを『短歌研究』に掲載した。
削除された16首に含まれるのが上の歌である。
(以下、『蟹工船』についてのネタバレあり。)
■語句
むせぶ――こみ上げる感情で息がつまり、せきこむ。
多喜二――小林多喜二のこと。『蟹工船』で有名。
■解釈
◆内容
木々がいっせいに萌え出る季節。新しい生命が躍動する雑木林にいると、むせかえるようだ。
「われ」は、「多喜二の詩」に世界が一変するような興奮を覚えている。旧態依然とした世界が終わり、新しい時代が到来するような気がしている。
「友よ」と、思わず誰かに呼びかけたくなる。自分が知った新しい思想を、他の人にも伝えたくてたまらない。
う~む、まっすぐだ。どこまでもまっすぐだ。木々の新緑を見上げる青年の、希望に輝く目が見えるようだ。
◆「多喜二の詩」とは?
ところで「多喜二の詩」って何? 多喜二って詩を書いたの?
土井大助によれば、多喜二に詩はある。『定本小林多喜二全集 第12巻』に「初期文集」として詩10篇、短歌12篇が載っている。多喜二の詩や短歌はこれだけで、すべて十代の作だ。
読んでみるとどれも習作の域を出ていない。感激して「口ずさむ」ほどの詩や歌ではない。それに小林多喜二全集が出たのは、寺山修司が32、3歳の頃だ。「むせぶごとく」の歌を書いたのは18歳以前だから、寺山が多喜二の詩や歌を読んでいたはずはない。
では、「多喜二の詩」とは何か。
僕は勝手に、小林多喜二の代表作『蟹工船』の末尾の一行、
のことではないかと思っている。
『蟹工船』の労働者たちは、過酷な労働を強いる監督に抗議してストライキを行う。しかし、監督たちの連絡で軍艦がやってきて、ストの代表者9人を逮捕し連れ去ってしまう。ストはあっさり鎮圧される。だが、残された者たちは考える。代表者を押し立てたのが敗北につながったのだ、今度は代表者に頼るのではなく、みんなが一致団結してストライキを行うのだ、そうすれば怖いものはない。みんなを逮捕すれば操業そのものができなくなってしまうからだ。そして上記の一文となる。
「そして、彼等は、立ち上った。――もう一度!」――寺山の歌の「われ」が感激したのはこの一文ではないか。そしてこの一文を「詩」と呼んでいるのではないか。
■「われ」は寺山自身を反映?
上に、「まっすぐだ。どこまでもまっすぐだ」と書いた。歌は確かにまっすぐだ。だが、この歌の「われ」と、作者の寺山修司自身は区別して考えなければならないだろう。
18歳の寺山が『短歌研究』に投稿した49首の冒頭にあるのが、次の歌だ。
そして2番目にあるのが、ここで取り上げている「多喜二の詩」の歌。5番目の歌は次のようなものだ。
みんないわゆる傾向歌だ。これらを読むと、寺山は共産主義者だったかのかと思ってしまう。
寺山の歌に同時代的に触れたある人は次のように証言している。
しかし、寺山自身は「アカハタ」を売ったこともないし、また母親が農民として田を打っていたこともない。多喜二の思想に全面的に心酔していたとも思えないし、また本当に「地主の赤き南瓜」を蹴ったことがあるのかもあやしい。
これらの歌の「少年コミュニスト」は寺山の虚構だ。作られた「われ」だ。おそらく寺山は、当時の時代の風潮に乗っかっていただけなのだろう。
ネット「短歌のこと」も次のように述べている。
でも、一方ではそんなふうに思いつつも、他方ではすべてが単なる虚構とも思えない。
「五十首応募作品」投稿原稿49首を見ると、詠まれているのは、農民(田を打つ母)、朝鮮人の子供(戦争で父を失った)、黒人(「黒人悲歌」の形で)、戦死した父、残された母と子、戦争未亡人の母、夜の女、混血児、港の男(港湾労働者)、小市民、女工、山林労働者、孤児などだ。
虚構の奥にはやはり、「虐げられし者たち」(小菅麻起子42頁)「底辺の人々」(同47頁)への共感も確かにあったのではないか。
寺山は、たとえば小林多喜二のように、特定の思想を抱き、それを一貫して表現し続けるような人間ではなかった。寺山は混沌を内包していた。そしてそれをそのときどきに表現した。寺山が多面的に見えるのはそのためではないか。
「少年コミュニスト」もまた、寺山の重要な一面だったのだ。
■おわりに
「多喜二」という具体的な名前が入っているので、もう時代に合わないかと思い敬遠していたが、何度か目にしているうちに、しだいに歌の流れるような調子に惹かれるようになった。
作者の寺山修司がどう思っていたかは別にして、気に入ったのであれば、素直にこの歌を口ずさめばいいのだ。場合によっては「多喜二」を適当に入れ替えることもできるか。――いや、やぱり「多喜二」ははずせないな。
■参考文献
『寺山修司全歌集』講談社学術文庫、2011
『定本 小林多喜二全集 第十二巻』、新日本出版社、1969
土井大助『よみがえれ 小林多喜二』本の泉社、2003
小菅麻起子『初期寺山修司研究』翰林書房、2013
ネット「短歌のこと」:2021/7/15
https://tankanokoto.com/2020/08/hitotubuno.html