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義経千本桜(2003年10月女流義太夫公演)
2003年10月の女流義太夫公演で義経千本桜の四段目が出るということで、 聴きに出かけた。個人的な事情だが、体調は最悪で一時は断念しかかったのだが、 何とか持ち直したので、思い切ってでかけることにした。数日前に、ジャンルは 異なるが素晴らしい演奏の実演に接して、実演に接することの貴重さを身にしみて 感じたばかりということもある。
義経千本桜なら文楽の9月公演で観たのだが、鮨屋の切や道行のように上演としては 素晴らしかった部分はあったものの、どうも話の方は違和感を抱いてしまっていた。 また特に河連法眼館は、不思議なことに素浄瑠璃の演奏(ただし放送)を幾つか 聴いたことがあったのだが、やはりあまり話に説得させれらたことはなかった。
今回の駒之助さん、寛也さんの演奏は、そうした違和感を払拭する素晴らしい演奏だった。 駒之助さんの実演を聴くのは、本格的には初めてだったが、とにかく物凄く、 ただただ圧倒された。浄瑠璃じたいがこんなに隅々まで説得力に満ちた演奏を 聴いたのは、文楽も含めて久しぶりに思える。感動的な演奏にも色々な種類が あると思うが、こういう切れ味が鋭い、でも鋭いだけでなくスケールの大きさもあり、 緻密で構成感が確かでいてひらめきのようなものが随所に満ちている、そして暖かさも 透明感も同時に感じられるというような演奏は、やはりはじめてのもので、 こういう色々なものを同時に達成してしまう豊かさを、皆が「天才的」というふうに 形容するのか、と思わず考えてしまった。寛也さんの三味線も最初から最後まで実に 素晴らしい、間合いも音色も良く、これはいわゆる若手の三味線の実演の中では文楽・ 女流義太夫を問わず、これまで聴いたなかで最も印象的な演奏の一つだと思う。
良い演奏は、出だしからもう違っていて、はっきりとした手ごたえみたいなものが 感じられるように思えるが、今回もそうだった。そして何より狐の語りの巧みで 感動的なこと。日本の古い話に出てくる、人間のこころを持ち、人間の言葉を理解する あの狐がはっきりとイメージされた。そうした話に出てくる動物は、多くの場合 人間以上に人間的で、ほとんど透明といっていいような純粋な感情を持っているのだが、 この話もやはり、そうした狐の話なのだと感じられた。
物語としてみた場合には、しかし、この話の核心は、その物語の後、感動した静御前に 呼ばれて出てくる義経の気持ちの吐露にある。そしてその気持ちの結果として狐は 呼び戻されて鼓をもらう事ができるのだ。今回の演奏では劇的な頂点がはっきりと ここで築かれ、後半の構成の見事さは言葉では表現しがたい物凄い盛り上がりをみせ、 圧倒的だった。聴き手として経験の浅い私が抱いていた違和感など、こうした演奏の 前には簡単に吹き飛んでしまい、作品の素晴らしさを感じ取ることができた。
いつものことではあるのだが、客席の入りの悪さには本当に驚いてしまう。 これもいつも書いている気がするが、あまりにもったいないことだと思う。
実は、最初に書いた異なるジャンルの演奏会と いうのもやや空席が目立つ程度の入りだったのが、ジャンルの違いはおくとしても、 そもそも客席数も値段も異なり比較にならない。 しかもこの演奏会、終演後の拍手は猛烈で、演奏者が全員引き揚げて、 客席の照明が明るくなっても全く止まず、指揮者がもう一度呼び 戻される程で、会場全体が演奏から受けた感動を共有したような素晴らしい印象の 演奏会で、空席は(興行としてはともかく、心情的には)帳消しになったのである。 指揮者も含めた演奏者の終演後の晴れやかな表情が印象的だった。
勿論ジャンルも異なるし、演奏を聴いた印象をどういった態度で表現するかも 違うのだから、比較してどうこう言うのではなく、ごく個人的な事情で、そういった 経験をほんの数日前にしたこともあって、そのギャップのあまりの大きさに、 感覚的についていくことが難しかったことを書きとめておきたいと思う。
(2003.10 公開, 2024.12.25 noteにて公開)