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「古代」村落の想像的根拠から「極東の架空の島」へ

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『山崎与次兵衛アーカイブ:三輪眞弘』別冊。藤井貞和が<うた>の起源に指摘する「双分観から三分観へ、中心(ミヤーク)を意識する」プロセスとジュリアン・ジェインズの<二分心>から意識…
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#二分心

「古代」村落の想像的根拠から「極東の架空の島」へ:あとがきに替えて・謝辞・参考文献

あとがきに替えて心のシステムは神経回路網の学習によって後成的に形成されて行く側面があるため、既に生物学的水準でも可塑性・柔軟性を持っていたが、ヒトに至って、脳の急激な発達と言語の発達による現実世界とは独立の仮想的な概念による領域を獲得したことにより、どのような構造を規範として学習・調整を行うかに関して、生物学的界面でのそれを大幅に超えた自由を獲得することになった。だが、ということは、人間はこの先自らをどのような方向に向けて心のシステムや社会のシステムの変化をドライブしていく

「古代」村落の想像的根拠から「極東の架空の島」へ:第5章 社会集団の構造と成員の心の構造の関係(3):祭祀と神歌における心の社会性

1.狩俣の神歌の体系内に層を見出すことができるか? 既述のように、狩俣の神歌の中で最初に注目されたのは、男役の唄う「狩俣祖神のニーリ」であった。そしてこれの成立年代は、その内容の最も歴史的に新しい部分(与那覇原戦ないし平良の目黒盛の軍勢の狩俣襲撃とそれと戦った真屋のマブコイの武勇伝)から、仲宗根豊見親による宮古島の統一期を遡ることはないと考えられる。狩俣の神歌の採集を試みる研究者がまずアクセスするのは、その当時の部落会の会長を初めとする村落の指導者達であり、彼らはしばしば

「古代」村落の想像的根拠から「極東の架空の島」へ:第3章 社会集団の構造と成員の心の構造の関係(1):狩俣における<二分心>の崩壊

1.追悼の対象である死者と祖神との関係:三分観を踏まえて ジェインズの埋葬に関するコメント「同じ死体を二度埋葬した(二度目は、「声」が聴こえなくなってから、共同の墓に埋葬し直した)証拠がしばしば見られたりする」(『神々の沈黙』, p.174)を、狩俣を含む南西諸島における風葬と洗骨の習俗と突き合わせてみよう。上記箇所の表面的な類似を除けば、一般論としては、ジェインズの参照する文化における埋葬の習慣、死後についての考え方は東アジアのそれと異なり、従って狩俣のものとも異なるよ

「古代」村落の想像的根拠から「極東の架空の島」へ:第1章 <二分心>の位置づけ

第1章 <二分心>の位置づけ 1.心のシステムと社会のシステムの関わりを問うことの妥当性 まず心のシステムと社会のシステムの関係はおよそ自明ではなく、単純な同一視は許されないことに留意する必要がある。藤井貞和『古日本文学発生論』における古橋批判「国家成立以前的段階から以後へという展開が、意識の次元でとらえられているという決定的な弱点(…)」(同書, p.20)を常に念頭におく必要があるということだ。確かに古橋の議論には直ちには首肯し難いものが感じられるが、それがどうしてなの