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「古代」村落の想像的根拠から「極東の架空の島」へ

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『山崎与次兵衛アーカイブ:三輪眞弘』別冊。藤井貞和が<うた>の起源に指摘する「双分観から三分観へ、中心(ミヤーク)を意識する」プロセスとジュリアン・ジェインズの<二分心>から意識…
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#レヴィ・ストロース

「古代」村落の想像的根拠から「極東の架空の島」へ:まとめと結論

まとめと結論A.<二分心>の位置づけ <二分心>における神の声は社会統制の機能を果たすものと想定される。だが、<二分心>抜きの説が多く存在する(というより多数派である)ことからも想像されるように、<二分心>概念は、構造的なギャップを埋める必然的なものとして位置づけられるというより、今日、多くは病理的な状態で現れるとされる幻聴が古代においてはごく普通の出来事であったということが文献から読み取れるという事実を出発点にして、逆にそこから、言葉を持ちながら意識を持たなかった段階

「古代」村落の想像的根拠から「極東の架空の島」へ:第2章:双分観と三分観

1. 狩俣における双分構造の複合と重層の様相 以下、双分観に関して、双分構造の複合と重層の様相を把握しつつ、それと三分観の関わりを描き出すことを試みる。 まずは東西の方位観について、8月15日の十五夜の綱引きを手掛かりに見ていくことにする。 当然のこととして、南西諸島に共通する、男(ビキリ)/女(ブナリ)の双分観をまず見ることができる。ここでは西がブナリであり、ブナリが勝つと豊作で、他の地域の綱引きでしばしば見られるように、綱引きの結果が非対称の場合には、実質的には正

「古代」村落の想像的根拠から「極東の架空の島」へ:要約

本論では、藤井貞和が<うた>の起源に指摘する「双分観から三分観へ、中心(ミヤーク)を意識する」プロセスとジュリアン・ジェインズの<二分心>から意識への変容プロセスとの構造的な連関を、宮古島狩俣の村落の構造と祭祀と神歌との関わりを手掛かりに検証する。 まず第1章では、系統発生的=進化論的な自己の発達モデル(トリーおよびミズン)、および個体発生的=発達論的な自己の発達のモデル(やまだ)と<二分心>モデルの比較検討を通じ、それを「言語以降、意識以前の心の様態」として捉えることによ