2024年12月の記事一覧
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落穂拾い:『人新世の「資本論」』における芸術の価値についてー「ドイッチュ『無限の始まり』における持続可能性批判についてのメモ」余録(2)
公開にあたって:既にマーラーに関して別に、「備忘:mathesis singularisとしての「マーラー学」?―アドルノのモノグラフを手掛かりにして―」という記事をnote上で公開していますが、その中で本稿(1)の末尾で展望した「音楽をはじめとする芸術の価値の扱いに然るべき修正を施すことによって「価値」概念自体の組み換えを行うこと」についての若干の補足を行っているので、この文章との繋がりを確保するための若干の編集をした上で、末尾に追加させて頂きます。その上で、私にとってマー
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落穂拾い:『人新世の「資本論」』における芸術の価値についてー「ドイッチュ『無限の始まり』における持続可能性批判についてのメモ」余録(1)
公開にあたっての注記:以下の文章は2021年7月に本ブログに公開した記事「ドイッチュ『無限の始まり』における持続可能性批判についてのメモ」の内容の謂わば前段に相当し、斎藤幸平『人新世の「資本論」』(集英社新書, 2020)を読んだ感想についてのメールの中で上記記事では主題的に取り上げていない背景をなす部分のうち、三輪さんの唱えられている「人文工学」について触れた箇所や「芸術」特に「音楽」について言及した箇所について、再編集をした上で公開するものです。『人新世の「資本論」』の感