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メゾン・ド・プラージュ

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結婚7年。ついに理解し合えることのなかった夫との関係を解消し、故郷の海辺で人生を生き直す女性のストーリー。「赦し」をテーマにした再生物語です。週1回更新しています。
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#海

【連載小説⑩】夫からの着信

【連載小説⑩】夫からの着信

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夫からの着信に気がついたのは、アウトレットモールの駐車場に車を停めたときだった。予想以上に早い連絡に心臓が跳ねるのを感じながら、それでも家を出てまだ2日。事務的な連絡なら別居に触れずに話ができるかもしれない。

そう判断して電話に出ると、慌てたような間があり「ダスキンモップの交換が来てて…」と夫のうわずった声が聞こえた。

集金に来ているなら2,000円の使用料を支払い、今後必

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【連載小説⑨】与えられた船室

【連載小説⑨】与えられた船室

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カギについていた「C2」を頼りにメゾン・ド・プラージュの中庭に足を踏み入れると、突き当り一番右にある1,2階がC棟であることがわかった。2階の玄関に「C2」の表示が出ている。レンガの階段を上がりドアを開けると、想像していたより広い部屋が広がっていた。奥にある大きな窓の向こうは海だ。

車からニトリで買った荷物を運び、カーテンをつけたら部屋はすぐ住める状態になった。

築43年だ

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【連載小説⑧】メゾン・ド・プラージュC2号室

【連載小説⑧】メゾン・ド・プラージュC2号室

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新幹線の駅近くにあるカプセルホテルに泊まり、翌朝10時にメゾン・ド・プラージュの近くに住むオーナーを訪ねた。

電話でのやり取りはあったが初対面なので手土産を渡し、改めて最後の入居者が退去するまでのあいだ、住まわせてもらうことへの感謝を伝えた。

「県外から来られたの?」と不思議そうにしたオーナーには、昔この近くに住んでいてよく海に遊びに来ていたことや、幼心に垢ぬけた建物がとて

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【連載小説⑦】新生活はおひとりさまで

【連載小説⑦】新生活はおひとりさまで

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ハルとのおしゃべりがひとしきり済んだあと、ダメもとで家主に電話をかけてみると、「ちょうど今日クリーニングが入ったばかりだから」と明日入居の許可が降りた。日割りで家賃が発生するかもしれないが、新居で生活をスタートできるのはありがたかった。

ハルには「またすぐ会おう」と伝えた。これからは車で15分ほどの距離にいられる。学生のときのようにしょっちゅう会えなくても、今はこの距離が心強

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【連載小説⑤】別離と出発

【連載小説⑤】別離と出発

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ショッピングモールでの”事件”が起こったのは、メゾン・ド・プラージュへの入居を3日後に控えた休日だった。

私は夫に何一つ相談せず、着々と転居の準備を進めていた。

注文した食事を待ち続ける私を前に、自分の料理を平らげた夫を置いて店を出た私は、一旦バスで自宅へ戻った。

夫からは何度もLINEで「どこにいるのか」とのメッセージが届いていたが、私はプレビューだけを見て返事は返さず

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【連載小説④】スタートの場所

【連載小説④】スタートの場所

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電話はやはり、メゾン・ド・プラージュのオーナーからだった。高齢であることは感じられたが、声にはハリがあったし応答もはっきりしている。

「空室があるか知りたい」という私に、オーナーは不動産サイトにあった通り、老朽化のためにもう入居者は募集していないこと、2年後には更地にする計画があることを告げた。

すでに入居者のほとんどは退去し、16室あるテラスハウスには3人しか残っていない

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【連載小説③】人生をもう一度選べ

【連載小説③】人生をもう一度選べ

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メゾン・ド・プラージュを管理していたのは、全国規模で賃貸物件を扱う大手の会社だった。「もう入居者は募集していない」という担当者に強引に頼み込み、オーナーにつないでもらう約束を取り付けた。

「高齢なので、期待した返答が得られるかわからない」と渋る担当者に、どういう状況でも構わないからと、すぐに連絡をつけてもらえるように伝えて電話を切った。

しん、としたリビングで電話をにぎりし

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【連載小説②】海辺の町とサロン・ド・ニース

【連載小説②】海辺の町とサロン・ド・ニース

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10代後半まで住んだ町を、Googleマップで見つけたのは2週間ほど前のことだった。

漁村だった海辺の小さな町はすっかり姿を変えていた。

夏、週末になると水着の上にワンピースをかぶり、浮き輪をかついで出かけた砂浜は、何年も前に護岸工事が完了していた。タコ壺がいくつも並べられたバラック小屋は、コインパーキングになっていた。

考えてみれば当然のことだ。

目の前にある島との間

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【連載小説①】すれちがいと最後の食事

【連載小説①】すれちがいと最後の食事

ごちそうさま、と夫は席を立った。

ランチに入ったレストランでオーダーから35分。私の前にはまだ何の皿も置かれていない。

恐らく、店の人は忘れているのだろう。夫はその間、自分の目の前に置かれた食事を一度として私とシェアすることも、連れの食事はまだかと尋ねることもなく食べ終えた。

同じことはこれまで何度もあった。無神経な夫に不満をぶつけたこともある。

けれど今の私に怒りはなかった。いつもと同じ

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