見出し画像

【連載小説⑧】メゾン・ド・プラージュC2号室

前の記事はこちら

新幹線の駅近くにあるカプセルホテルに泊まり、翌朝10時にメゾン・ド・プラージュの近くに住むオーナーを訪ねた。

電話でのやり取りはあったが初対面なので手土産を渡し、改めて最後の入居者が退去するまでのあいだ、住まわせてもらうことへの感謝を伝えた。

「県外から来られたの?」と不思議そうにしたオーナーには、昔この近くに住んでいてよく海に遊びに来ていたことや、幼心に垢ぬけた建物がとても印象的だったことを話した。

すでに取り壊しまで決まった建物に住みたいと必死で頼み込んだ私に抱いていた警戒心が、少し薄れたようだった。

「費用を負担することはできないけれど、修理が必要になったらいつでも連絡してね。」とオーナーは言い、水道やガス、電気の説明を一通りして最後に部屋のカギを渡してくれた。

「選んでもらえたらいいのだけれど、もうまともに住める部屋があんまり残ってないの」と言って手渡されたカギには、「C2」と刻まれたプレートがついていた。「日当たりはいいから、冬も日中はそんな寒くないはず。夏場も朝夕は海風で涼しいと思う」と付け加えたオーナーにもう一度お礼を言い、私はメゾン・ド・プラージュに向かった。

5月の日差しは強く、風はすでに夏の匂いがした。景色は変わっても海の匂いは30年前と変わらなかった。

徒歩と自転車しか移動手段を持たなかった時代の遊び場だったせいか、メゾン・ド・プラージュ周辺の地理は完璧だ。この30年のあいだに新しくできたスーパーや店舗を確認すれば、明日から日常生活が動き出す。

昨日の夕暮れに感じた心細さはもうなかった。

次の物語はこちら


ありがとうございます! サポートはすてきな写真を撮りに行くために使わせていただきます。