【連載小説④】スタートの場所
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電話はやはり、メゾン・ド・プラージュのオーナーからだった。高齢であることは感じられたが、声にはハリがあったし応答もはっきりしている。
「空室があるか知りたい」という私に、オーナーは不動産サイトにあった通り、老朽化のためにもう入居者は募集していないこと、2年後には更地にする計画があることを告げた。
すでに入居者のほとんどは退去し、16室あるテラスハウスには3人しか残っていないという。ならば、と私は「その3人が退去するまででいい。最長で2年、あのテラスハウスに入居させてほしい」と頼み込んだ。
オーナーはすでに不動産からの収入に執着しておらず、真剣に私を止めた。
水道管は劣化しており、水道水には時折おりサビが混じること。窓にはガタつきがあり、すきま風が入ること。建物は古く、耐震性も十分ではないこと。
入居を勧めるときだって、こんなに熱心ではないだろうという勢いで説得されたが、私は引かなかった。
あそこから人生をもう一度スタートさせたい。取りつかれたように頼み込む私に、「そこまで言うなら」とオーナーは折れた。
建物のあらゆることにクレームをつけない、という契約書を作成することは私から提案した。ようやく説き伏せたオーナーの心変わりはなんとしても止めたかったし、何より私自身が「自分で決めた」というプレートを、今から進む道に打ち込みたかった。
仕事をするために開いていたパソコンでWordを立ち上げ、インターネットで契約書のフォーマットを探し出し、私は瞬く間に契約書を書き上げた。
こんなに集中したのは久しぶりだ。達成感すら感じながら書類を茶封筒に入れて宛名書きを済ませ、ポータータイプのバッグに入れて着替えた。
車庫から自転車を出しながら、「新しい生活には自転車を持って行こう」と決めた。海と山に挟まれた坂の多い街だが、海岸沿いはどこまでも平坦な道が続く。
車と自転車は手放さないとまた一つ新生活に向けた決定事項を追加して、郵便局までの道を急いだ。
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