NCU・6日目 2017/09/19
母親が手術の麻酔鎮静から覚醒できて峠を越えたという判断がついたので元々予定していた京都で9/17(日)から9/18(祝・敬老の日)にかけて一泊の宿泊に出かけてきた。まだNCUのベッド内から起き出る元気や能力、体力ともにない状況なのでリハビリテーションが始まるもののベッドの上での確認事項みたいなことになる。手は動かせますか?右手の人差し指を私のこの指に触らせること、タッチさせることができますか?この物を掴んでみてください。簡単なようなことだけれどもこれがなかなかスムーズには事が進まないし、できたとしても時間がかかる。そして右手の方が大きく震えるように揺れる。
9/19(火曜)に久しぶりに面会に伺う。
時間はいつものPM15時からの30分である。この30分の為に午前中は大阪市内に仕事に出てから昼食を手早く済ませてこちらの国立循環器病研究センターに赴き、30分の面会を過ごしてPM16時前には当センターを出て夕方からの仕事にPM17時までに間に合うようにトンボ帰りするように時間を設定した。30分の為に前後の交通往復時間も含めて合計4時間くらい費やしてる計算になるが意外にも全く苦にはならない。むしろジッと仕事してるよりも忙しい状況の方が気分が解されていく印象があって開放的になり気分は重くならない。
久しぶりに顔をみると電動ベッドを座位の位置まで起こしても疲れはするものの問題はないみたいで座った状態でいられるまでになっている。しかし全身には力が入らないような雰囲気で背中はベッドにぺたーっと張り付いたままみたいにベッドが引力を持ったかのような雰囲気である。身体的な雰囲気がまだ三次元に回復できずに二次元に少し熨斗をつけたくらいの感じである。点滴だけの栄養補給で運動もままならない寝たきりの状況が今日で一週間弱だとすればそんなものかとも思う。
生きて息して動いてるだけで不思議であるのだもの。
喋れないなりにもそれなりにコミュニケーションを図れる現状である。
母親は涙で濡れたような目になっている。
真意はわからない。
疲れた涙なのか、悦びの涙なのか、彼女にとっての子供が目の前にいる現実を噛みしめる涙なのか、何故このような状況になってるのか解らない涙なのか。
かさついた肌の上に涙が伝うと干魃の地表の地割れのように涙が肌に吸収されてシミを作っていく。目やにはボロボロとこぼれ、目の焦点は虚ろに力強さが、生命力が希薄にしか感じられない。
10年ほど前に原因不明の膠原病に罹患して仕事を半年ほど休職したけれども、その前は僕が小学2年生の頃からこの倒れる日までほぼ休まずに働いてました。約40年といったところです。膠原病に罹患して復職するに際しては働く日数を半減して週3日の通勤としていた。今を思えば僕は学生時代に三者面談だとか文化祭だとかの親の参加できるイベントに働く母親のことを思って迷惑にならないように
「別に来なくてもこっちで済ませておけるから気にしなくていいから」
と言ってコミットしなくても済むように配慮してたのだけれども、逆にそういう機会に仕事を休ませてあげれていたらもっと母親も喜んだのかもしれないな、ということも今の母親への面会にあたって思いを馳せたりしている。
今に思ってみれば後悔ばかりしている。
しかし、後悔のない人生なんて面白くないじゃないか。