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コハダの仕込み - 第一章(神奈川県綾瀬市 あやせ工業団地・第二世代編)
ハタチの頃 築地
社長
鮨屋にさ、初めて行くときってあんじゃん。一人で行くとき。親元離れてさ。
鮨屋行ったら、何食べればいいのっちゅう話を、じゅんちゃんに聞いたことがあんだよね。いつ聞いたのか覚えてないけど。
まあ、ビール飲めるようになってからじゃん。ハタチぐらいで。東京行って。築地の周りとかでさ。
どの店行っていいか分かんないから、とりあえず俺、築地の周辺でタクシー乗るわけ。金もあんまりねえけど。
「運転手さんが好きな、鮨屋連れてってください」ってタクシーの運ちゃんに頼むわけ。うん。
運ちゃんが「あそこが結構今、美味しいと思うよ。俺も好きなんだ」
そこ行ってさ。
店内、もう賑わってんの。変な時間からさ。5時より前だよ。
「テーブルかカウンターかどっち座りますか」って聞かれて、
「カウンター」
生意気にさあ。
で、何食ったらいいのって話。
「まあまずよ。通に見られたいんだったら、コハダと、玉子」
聞いてたからさ。それを頼む。
玉子も今はよそで買ってるとこもあるけど、だいたい良いとこは自分ちで作ってるからね。
マスター(じゅんちゃん)
ウチだよ。ウチ。
社長
そう。ね。コハダ、玉子、かんぴょう、これはだいたい作ってんから。ちゃあんとやってるとこは。
それ食えと。それもツマミで食えと。
そんなこと言ったらよ、「あ、こいつ、知ってんな」と。「変なことできねえな」と。
あとは適当に、自分の好きなもの食えと。
つっても幾ら取られんか分かんねえ。
カウンターの前で幾らって書いてるわけじゃねえからさ。
だいたい、後ろに弟子がいるような、ちゃんとした鮨屋だからね。
「5千円しか持ってねえ」
これを先に言って、
「できるだけのものを食べたい」って言っとくってことをおせえてもらってね。
そうすればほら、勝手にそっち側でやってくれんから。
それが1万円だったら1万円分、だしさ。
「お酒こん位飲んだから、あとはこん位だよ」みたいな。
「あとはまあ、おまかせで」とか言うと、
「嫌いなもんない?」
「別に、全然大丈夫です」みたいな感じで。
最初に食べたいものだけ頼んで、あとはその日の、良いやつ。
そのお金で済ませられるやつ出してもらえばそれで十分ですってね。
で、さらっと…ほんとは、5千円、出すのすごい辛いんだけどお。
それ、さらっと出してね。
次、立ち飲み屋行くっていう。
じゅんちゃんとこ
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社長
あ、僕ほら、学生時分から親に連れられて来てるからさ。じゅんちゃんとこ。
マスター
バイトしてたもん。
社長
うん。それ中学生のときね。
年末のバイト。桶洗い。それと海老の下処理とか、貝のヒモ取ったりだとか。それをやれと。
俺も料理、好きだったっていうか、そういう道に行きたかったからっていうのもあんだけど。
でもまあ昔からほら、お付き合いがあるんで。
「バイトさしてくれえ」ってね。
うちの弟もバイトしてるしね。高校生のときに。
まあ、弟の方がなげえよね。ちゃんとした契約でバイトしてたから。
俺は、ヘルプっていうか。一番忙しいときに桶洗え、ってやつだからさ。
マスター
バイト料なしのバイトだから。
社長
そうそう。飯食わせてもらうってやつさ。
マスター
弟クンにはバイト料ちゃんと払ってた。
社長
そうそうそう。だからまあ、いろいろ教えてもらってね。
よそ行っても、わきまえるとこ、わきまえて。舐められんのも癪だしさ。
でもそうやってコハダとか玉子とか食べてたら、ほんとに好きになっちゃってよ。
店によって全然違うわけよ。ねえ。違うじゃん。
「あの鮨屋、うめえんだ」って、仲間の社長と行ったところも、必ず比べるのはじゅんちゃんのところなんだよね。
ここがベースになっちゃってんから。
だからじゅんちゃんとこのが、全然うめえなあとか。うん。
それでいうと、例えば東京の銀座の名店でも、俺はうめえとは思わねえ。そんなにあちこち食べてるわけじゃねえけど。
ま、好みの問題とかもあるけどね。
そのお店の味と舌がもう合っちゃったら、多分どこの食っても、違和感は感じんだろうなあと思うけどね。
マスター
こんだけ努力してるから、ちゃんと美味しいもんは作ってんだよっ。
社長
うん。それはそうだと思うよ。
だからここのコハダはさ、本当に時間かけて、手間暇かけてるからさ。
そのくらいの値打ちがあるってことが理解されたらいいよねって思う。
マスター
いや、ほんとそう。
社長
でもかんぴょうは、あんなに時間かけてるのに、かんぴょうなんだよなあ。
マスター
いやおめえ、かんぴょうはよお…
社長
可哀そうだョ…かんぴょうは。ねえ。
ネギトロとかさあ。ツナ巻とかと並んでさあ。あんなの下手したら、なんつうの、ツナマヨネーズとか、チューブからぶちゅーとやりゃできるわけじゃん。
かんぴょうなんて可哀そうだよ。
キュウリなんてシャーって切ってさ。サーってやって巻きゃあいいんだから。
コハダ シャリ
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社長
インドとか出張で行くときもさ、空港で、必ず鮨屋寄るよ。
「コハダくれ」とか言うけど。
良い店だけど、「じゅんちゃんの味思い出しちゃうなあ」みたいな感じなんだよね、いつも。
「ああ、じゅんちゃんだったらこうはしねえなあ」とか。
ガリも違うもんね。お店によってね。色も酸っぱさもさ。
だから酢を使うマジックは店によって相当違う。
まあガリは、買ってきてるガリだから、マスターの好みだろうけどさ。
ここのシャリは、ほわんとしてる感じ。
優しくほわんとしてる感じ。
面白いのがさ、カウンターでお客さんに出すシャリの量と、出前のシャリの量とが違うわけ。
家で桶で食べるシャリの量と、店のカウンターで食べるのは、いうなれば、分けてるのね。量を。
出前取ってくれる人たちは、食事をしたいんだよね。酒飲むんじゃなく。だから少し多め。
で、なぜか出前の車に揺られると、
マスター
美味しくなる。
社長
店よりネタとシャリが程よく熟成するんだ。あっはっはっはっはっ。
マスター
嘘だよそりゃあよお。
神奈川県綾瀬市 あやせ工業団地
社長
このお店?もう50年くらいだよ。マスターは、70ちょい。
昭和50年くらいからやってんじゃないかな。
というと、1975年くらい?じゃあやっぱりもうすぐ50年くらいか。
そのころ綾瀬市に、いろんな工業が、いろんなとこから呼び寄せられてきた。このなにもないところに。
うちの親父とかもそう。昔からいる社長さんたちもそう。
ほとんど川崎から来たんじゃねえかな。横浜、川崎から。
「ここに工業団地出てるから、まあ土地も安いし、移民してこねえか。俺も行くから」みたいな。
じゅんちゃんは、そのちょっと後ぐらいに、なんかのきっかけで来た。
だから親父たちの代から、付き合ってきてんのね。
俺らはセカンドジェネレーションよ。
息子たちがサードジェネレーション。
僕もほんとちっちゃかった頃から、今もう50才でしょ。
子供たちがもう25才とかか。
みんな、じゅんちゃんのファンだよな。ここに来る人はみんなファンになる。
もっと賑わってもいいとは思うけど、あんまりお客さん来るの好きじゃないんだよ。程よいのがいいんだってさ。
ただ昔はここにも、3人くらいカウンターに立ってた。
舎弟がいて、巻物専門の人がいて、って感じで切り盛り切り盛りしてたわけで。
それがみんな巣立っていった。
マスター
8人いたよ。信じられないでしょ。一番忙しいときね。
30年以上前かな。バブルんとき。
社長
だってここのカウンターに、そこ界隈の社長が、うわあーって。席を取りにねえ。
カウンターは奥に行けば行くほど、偉いわけで。常連として認められて。
だから、みんな奥行きたいわけよ。
「お前はまだそっち。まだ若い、浅い」なんてね。
僕らは、当然、後ろにいるわけ。
第一世代に呼ばれて、店行くけど、
「後ろで食っとけ」みたいな。
で、この店だけじゃ終わらないの。この後には必ず次に行くところが待っている。
マスター
セットだよな。
社長
そう。なんか知らないけど、次行くスナックが決まってるの。
仲良しのママさんがいて。電話して。
「これから何人行くぞー。空いてんかー。」
「大丈夫よーっ」
それでも飲みたんない人は、大和。繁華街に行く。
ちゃんと繋がりってのがあってさ。
連携ってのがあったのね、昔から。
企業間連携もそうだしさ、同じなんだよね。こういうところも。
ここで仕事が生まれる。
じゅんちゃんを介して、紹介してもらう。
「お前初めて見るな。あいつ知っといたほうがいいぞ」とかって。
みんな罠を張れるんだよね。蜘蛛の巣とか罠を張れる。そういうことをしてた。
でもそういう人たちが、今もう70、80、もしくは、ねえ、天に召されている人もいるわけで。
今、来ないでしょ。こんな感じなわけじゃん。
すると僕たちは、セカンドジェネレーションは、残したいと思ってる人は、やっぱりこう…毎日は来れないけど、ちゃんと曜日を決めて。
ここ、残してあげたい。
でも、じゅんちゃんもいい年だから、どうしよう?みたいな。ははは、かんじなんだよ。
だってここにいたらさあ、わざわざ銀座に行く必要、ねえもん。
マスター
だからさあ、食ってのは、よくいうけど、家へ帰って、飯と、味噌汁と、お新香があれば最高にうまいっていうじゃん。
あれは、ようするに気持ちなんだよね。
気持ちが楽に食べられるところがあれば、一番美味しいってこと。
だから、ウチのお客さんで、銀座行って、こっち帰ってきて食べて、
「こっちのがうめえ」ってさ。
食ってのはやっぱ雰囲気よ。
社長
ネタの勝負もあるかもしんねえけど、お店のスタッフの、なんとなく雰囲気もあるしなあ。
その全てを噛みしめて食べてんだもんな。飯は。
だから雰囲気を醸し出してるって部分では、絶妙なところにいるんじゃないの。ここは。うん。
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ー 続く ー