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好きと、あの子と、後悔と
言葉を大切に生きようと、常々思っています。
どんなことでも口に出さないと伝わらない、と思う。だからわたしはできるだけ”好き”を直接伝える。
言霊ってあると思うから、ささやかなおまじないとして、大好きなみんなと別れる時は”またね”と言う。勝手にまた会うことを約束する。
言葉にしないと、口に出さないと。
そういう意味では、このnoteも言葉を大切に、の一環となっているかもしれない。こうやって言語化することは自分の気持ちに向き合っているということで、それはわたしへの愛情表現なのかもしれない。
真にわたしを理解できるのはわたしだけで、だからこそわたしはわたしを理解してあげないといけない。
死ぬときに後悔が残らない人生には、わたしについての理解と、愛情が必要なんじゃないかな。
今日死ぬわけじゃないけど、十七年間を振り返ってみると、やっぱり後悔は山のようにある。大きいものから小さいものまで、沢山。
それでも、この後悔はわたしの生き方を決める指針になっているわけなのだから、後悔だってわたしの大切な一部として受け入れて、大切に守りたい。
わたしは、大切な友人をひとり、亡くしている。
その子とは、春にインターネットで出会った。話しているうちに、近所に住んでいることがわかって初めて会ったのは八月のある日。
たくさん話せて楽しかったこと、今でも覚えてるよ。
秋にも、会ったよね。パンケーキを食べに行った。思っていたより大きくて、苦しみながらも頑張って食べたよね。お腹は苦しかったけど、幸せの味がした。
そして冬のある日、連絡が取れなくなった。何日か連絡がなくなることはよくあったから気にしていなかった。
年が明けても返ってこないライン。更新されないツイート。
すこしだけ胸がざわついていたのを、日常でかき消していた。
夜中、ぼんやりスマホを見ていたら、一件の通知が来た。その友人の友人で、中学生の頃からの付き合いだと聞いていた方から。
嫌な予感は意外と当たるもので、それはあの子の訃報だった。正確には、わたしがあの子の死を知っている前提で、仲間内で追悼の会でもしないか、という誘いだった。
既に連絡が取れなくなってから二か月ほど経っていた。
あの連絡が来た時のことは今でも鮮明に思い出せるし、思い出すだけで心臓が暴れ出す。
死因は聞いていないから憶測だけど、あの子は精神面がすごく不安定だったし家庭環境も複雑だったから、もしかしたら、と思っている。
それを知っていて、音信不通の状況から動こうとしなかったわたしが、嫌いだ。
止められた、なんて思わないし思ってはいけないけど、まだたくさん話したいことがあったんだ。
今でもお揃いで買ったシャーペン、使ってるよ。ノリノリで撮ったプリクラだって捨ててない、大切にしてるよ。
一年にも満たない、ツイッターから始まった友人関係を、あの子はここまで重く考えていなかったかもしれないけど、わたしにとってはすごくおおきな存在だった。いや、いまでも、そうだ。
あなたに対する後悔は尽きないけど、大学生になったら、なんて楽しく将来について話したことを思い出して、いまは頑張れるように、前を向く。
悔いの残らない人生、なんていう難易度の高い目標が出来てしまったのもあなたのせいだよ、と茶化せるくらいには前を向けている、と思う。
あなたに直接言えなかった好きをこの文章で伝えられたら、なんて思ってもいいのだろうか。
この人生で出会えて、好きだと思える友人がたくさんいること自体が奇跡だよね。
書きたいように書くと纏まらない!
今日友人と会ったら、好きって言おうと思います。
これを読んでくれたあなたも、好きです。