恋愛してみたかった。 これまでの人生、片思いばかりで今までお付き合いした人といえば小学生の頃の彼だけだ。思い返すと、子供のお遊びだったなあとしか思えないのでお付き合いとも言えないんだろうけど、少し見栄を張らせてください。 17年生きてきて、人並みに異性を恋愛的に好きになる機会はあったのに、お付き合いする機会には恵まれなかった。 インターネットが普及して人の生活を垣間見れるこの時代に生きるわたしは、恋愛を神格化してしまっている節がある。インターネットで見るあなたたち
朝、死にそうになりながら目を覚ます。永遠に眠ることはまだ許されないみたい。とっくに日は昇っていて、早起きできない自分に嫌気がさす。それでも起き上がらないままツイッターで有象無象の文字たちをからっぽのわたしに注ぎ込む。 そうやって貴重な朝を浪費する、起き上がれないから。いや、本当に遅刻しそうなときはすぐに起き上がれるから、わたしがただ怠惰なだけだ。 変に真面目だから遅刻しないように毎日頑張っている、なんでだろう。毎日死にそうで、死にたいのに、走って教室に滑り込む。そし
神社に行ってきました。有言実行ですね。ちゃんと参拝の作法を調べて、神様に祈ってきました。夕方だったので人も少なくて、雰囲気がすごく良かった。ノスタルジック。 まあ、結果的には、不合格でした。合格発表前日に祈りにいくのはさすがに遅すぎたな、と反省しています。きっとこの参拝の御利益は、一般入試で発揮されるのでしょう、神様を信じます。 合格発表は正午で、その日の試験も正午まででした。難しくなかったから三十分ほど時間が余ってしまって、胃がキリキリ痛む辛い時間を過ごしました。
言葉を大切に生きようと、常々思っています。 どんなことでも口に出さないと伝わらない、と思う。だからわたしはできるだけ”好き”を直接伝える。 言霊ってあると思うから、ささやかなおまじないとして、大好きなみんなと別れる時は”またね”と言う。勝手にまた会うことを約束する。 言葉にしないと、口に出さないと。 そういう意味では、このnoteも言葉を大切に、の一環となっているかもしれない。こうやって言語化することは自分の気持ちに向き合っているということで、それはわたし
わたし、実は受験生なんです。受験生が十月に新しいこと始めるなんて危機感が足りないと思われるだろうなと思います。(しかも今は定期試験真っ只中!) でも、受験が終わって、晴れて大学生になったとき、わたしは十月にこれを始めたことを後悔しないと思う。 こうして、自分の内面を言語化して曝け出せる場を見つけることができて良かった。まだ昨日投稿した決意表明みたいな文章しか書いていないけど、心做しか体がすっきりしているように、思える。 わたしはどうにも考えすぎてしまう性格で、考え
中学生くらいの頃から、漠然とわたしが死んだときどれだけの人がわたしを知ってくれていて、死を悼んでくれるんだろうと考え続けていた。なにも残さずに死にたくないし、死んでせいせいするわ! とも思われたくない。 と思いつつも高校生くらいになってくると、自分は特別じゃないし、万人から好かれることなんて不可能だし、世の中の大半の人はなにも残さずに死んでいくって気付き始めた。 でも、何者にもなれないわたしでも生きていたんだって、証明したいという気持ちになってしまった。生きてい