愛に飢えている
恋愛してみたかった。
これまでの人生、片思いばかりで今までお付き合いした人といえば小学生の頃の彼だけだ。思い返すと、子供のお遊びだったなあとしか思えないのでお付き合いとも言えないんだろうけど、少し見栄を張らせてください。
17年生きてきて、人並みに異性を恋愛的に好きになる機会はあったのに、お付き合いする機会には恵まれなかった。
インターネットが普及して人の生活を垣間見れるこの時代に生きるわたしは、恋愛を神格化してしまっている節がある。インターネットで見るあなたたちが、とっても幸せそうだから。わたしも幸せになりたいよ。
血縁者以外から愛される人間に、わたしもなりたい。そんな人間になれることが人生において、成功であって、それは幸せなことだと思っている。
わたしは自己肯定感が普通の人より低い自覚がある。これは自己愛の表れなのだろうか。
その自己肯定感の低さ故、わたしは他人に対する評価基準まで上がってしまっている。意識して直そうと努めているが、一時期はこの影響でより自己肯定感が下がっていく、デフレスパイラルみたいなことが起こっていた。
ある時期から、わたしは自分の顔にコンプレックスを抱いている。朝起きたら、誰もが可愛いと認めるような綺麗な顔になっていたらいいな、と何度願ったことか。
正直、こんなことは誰にも話せない。自分の顔を貶めるということは自分の両親を否定することに繋がるし、自虐の言葉は自分だけではなくそれを聞いた誰かにも刺さって抜けない棘になり得る。
認知が歪んでいて、わたしには自分の顔が実際よりも醜く見えている可能性も捨てきれない。でも、鏡を見るたびに、写真を撮るたびに、その希望は打ち砕かれる。今まで数えきれないほど、わたしの心は砕かれた。
この顔面に対するコンプレックスが、わたしを恋愛から遠ざけているのかもしれない。
可愛いものを買おうとするとき。
可愛いカフェで可愛いスイーツを食べるとき。
学校行事で可愛い友達と写真を撮るとき。
何をしようにも、自分の顔の醜さが脳裏を過ってしまって全力で楽しめない自分がいた。
こんな醜いわたしに好かれたって、彼は嬉しくないだろう。むしろ迷惑かもしれない。
優しいのはわたしが彼に対して恋愛感情を抱いていない存在だと思われているからで、恋愛感情を抱かれていると察してしまったら気味悪がられて楽しい日々はおしまい。
恋愛感情、という特別な感情を抱く資格はわたしにはないし、愛される資格すらもない。
こんな気持ちから、わたしは恋愛に異常な憧れを抱いてしまっているのだろう。
嫌われたくない、という気持ちは一種の自己愛なのかもしれない。自分を愛することは良いことなのだろうけど、ちゃんと愛せているのか、分からない。
人を愛し、人に愛されることができる人が心底うらやましい。
わたしは、恋愛感情を向けてしまうことで人が離れていくのがどうしようもなく怖いから、それを乗り越えてお互いに好きだと言い合える関係になれるあなたたちを尊敬している。
どうしたら恋愛できるのでしょうか。わたしには無理なのでしょうか。
愛したい。愛されたい。ふつうの、幸せが欲しい。