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人の実力を過信しないようにすると、クソリプラーになりかねない

この前、『人生は、運よりも実力よりも「勘違いさせる力」で決まっている』という本を読んだ。

「世の中は、思ったよりも運が占める要素が大きいんだよ」というのが一つの主旨であると、ぼくは読んだ。

もう少し平たく言うと、「あの成功してる経営者もインフルエンサーも、もしかしたすると、いまやってることがたまたまうまくいってるだけかもしれないよ」ということ。

その本を読んで以来、「ああ、この人の言ってることも、もしかしたら間違ってることもあるのかもしれないな」と疑いながら情報を追っていたのだけど…

もしかしたら、クソリプラーの一歩手前って、こんな感じなのかもしれないな!

と思った。

だってぼくの頭じゃ、ウォッチしてる経営者やインフルエンサーのやろうとしてることや言ってる内容に、付いていけないこともある。

そんなとき、いままでだったら「凡人には理解できないけど、多分、これは先見の明ある施策なんだ!」と、ある意味で思考停止して受け入れてきた。

しかし、「前はたまたまうまくいったけど、今回はどうか分からない」という目で見始めると、自分のキャパで理解できないものが、全部胡散臭く映ってくる。

そして、日頃から大きなストレスなどを抱えている人は、意図できない言動をする人に対して、クソリプを飛ばす。

「自分だけは大丈夫だと思ってても、犯罪人になるときは案外あっけなくなるんだよ」

なんてことはよく言われるが、犯罪人をクソリプラーにも置換可能だなと気づいたとき、少し怖くなってしまった。

じゃあどうしようかと考えていたのだけど、結局、バランスを取ろうとか時と場合みたいな月並な対処法を、とりあえずはしていこうと思う。

脳は基本的に、「できるだけ少ないリソースで、まあまあ正しい解を出す」ように設計されている(一応心理学部)。

だから普段の生活では、ある意味で思考停止していていく。

自分が追っかけてる起業家やインフルエンサーの言動を、まずはその意図をある程度は汲み取ろうとして分からなかったら、最悪そのときは盲信する。

そうしないと、自分の小さい脳キャパで理解できないものは、全部排除するみたいな、すごいヤバイやつになりかねない。

「何を言ってるか」じゃなくて「誰が言ってるか」を当てにするのも、ときには大事だ。

そして、自分自身の生活に関わるものや、自分自身の選択をする参考にするものは、サボらせておいたその脳をフル稼働させ、考えに考えまくるのがいいのかなと。

それでもわからなかったら、「今回の施策は、もしかしたら外すかもしれないな」と、是々非々で捉える。

クソリプは、絶対に飛ばさないよ。


★物欲はないけど、物欲考察欲はある


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藤本 健太郎 / 編集者
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