妻の一言、双子の関係。サバ博士・右田孝宣さんを形作った「5つのピース」【よなよなビアファンド】
2021年4月に始まった、笑顔を生み出す多様性人材“よなよな人(びと)”へのビール投資プログラム「よなよなビアファンド」。「出る杭に心打たれる」をキャッチコピーに、様々な分野で活躍する人をよなよなエールで支援する取り組みです。
今回は、よなよな人第三号のサバ博士の右田孝宣さんに、ご自身に影響を与えた「5つのモノやコト」について教えてもらいました。
①オーストラリアでの生活
オーストラリアで働いていた「スシトレイン」の店頭にて
今の自分を形成しているのは、23才のときにワーキング・ホリデーで訪れたオーストラリアでのビジネス経験です。シドニーでは、回転寿司チェーンでの店舗勤務を経てエリアマネージャー、スーパーバイザー、工場長などを務めました。同店は卸会社としてサーモンの養殖に携わっていたので、水産業の知識も深められましたね。
飛行場に足を運んでは、毎日「日本に帰りたいな......」と思うほどつらい日々でしたが、就労ビザを取得することを目標に3年間頑張り抜きました。改めて振り返ると、すべての経験が現在手がけているビジネスの礎となっています(右田さん)
②帰国後の失敗体験
30歳でオープンした居酒屋「笑とり」のスタッフと
オーストラリアで努力を続けた甲斐もあり、26歳当時の収入は1000万程度。2店舗のお店を13店舗にまでチェーン展開するなど成功体験を積み、「日本でもまだやり残したことがあるはずだ」と意気揚々と帰国しました。
……が、生命保険会社の営業職や通信会社の飛び込み営業などを続けるもなかなか結果が出ず、ついに月収は3万5000円に......。結婚して子どもが2人いたのですが、看護師の妻に生活を支えてもらう日々が続きました。「このままではいけない」と一念発起し、一坪20席の「笑とり」という海鮮居酒屋を始めたのが30才のときです。妻には大変苦労をかけましたね(右田さん)
③妻の一言
「笑とり」では、鯖を炙ってシャリにのせた「鯖寿司」を提供していました。今でこそ鯖を炙るのは珍しくありませんが、当時はそれが新鮮だったようで話題になり、遠方からもお客様が来てくれるようになったんです。
当時妻から言われた「本当に美味しいから、鯖一本で頑張ってみたら?」という言葉がとても心に響いて。妻と「鯖一本で会社がどこまで大きくなるかチャレンジしよう」「面白くなかったら辞めよう」と2つの約束をし、起業しました。それが現在の「鯖や」です(右田さん)
④双子の関係
右田孝宣さんと、双子の弟、孝哲さん(右)
双子の弟である孝哲(鯖や・副社長)とは幼少期からいつも一緒にいて、まるで親友のような存在です。彼の支えがなければ、ここまでやってこれなかったと言っても過言ではありません。
特にコロナ禍で業績が厳しかったときは、何度も何度も彼に相談しました。「1日でも長く会社を存続させるのが僕らの仕事だから、たらればの話はやめて、絶対に会社を守り抜こう」という彼の言葉で、今後の方向性を固められましたね。少しでも判断が遅れていたら、今の鯖やはなかったと思います。もちろん仕事だけではなく、童心に帰って一緒に遊ぶこともあります。側にいると安心するパートナーですね(右田さん)
⑤前澤ファンドに採択
前澤ファンドに採択されたサバの陸上養殖事業のための実験設備
コロナの影響で会社の経営が厳しかったとき、元従業員からの連絡をきっかけに前澤ファンド 「10人の起業家に100億円企画」(10人の起業家に、実業家・前澤友作氏の個人資産を出資する企画)について知りました。
通過するかどうかは宝くじに当たる程度の確率かもしれませんが、自分がこれまでやってきたことがどこまで通用するのか試したい気持ちがあって、締め切り当日の11時38分(イイサバ)の時間にエントリーしました。
結果、一次審査、二次審査を経て前澤社長に4回ほどプレゼンし、4330社のうちの14社として選んでいただけたんです。当日は声がうわずるほど緊張しましたが、思う存分サバ愛をぶつけられたと思います。選択いただけたことで、自分が今までやってきたことは間違っていなかったと自信を持てました(右田さん)
意外にも「昔は魚が好きではなかった」という右田さん。サバ愛に目覚めたきっかけは一体何だったのでしょうか?右田さんの「偏愛のつくり方」についても、インタビューで伺っています。よかったらそちらの記事もぜひご覧ください。
「よなよなビアファンド」では、これからも新しい“よなよな人”の発掘や、”よなよな人”への支援を行っていきます。これからの「よなよなビアファンド」も、お楽しみに!
取材・執筆:ふつかよいのタカハッピー、編集:ツドイ
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