_007_藝大は_は学びをデザインしているのか__後編_

【エッセイ】藝大は、学びをデザインしているのか?(後編)

~修士研究を決めた背景②~

「デザイン科とわたし」の投稿記事からの派生です。
修士研究のテーマを決めた背景になります。
ここでは、藝大でco-creationを実践しようと思った理由に繋がる、いま僕が藝大デザイン科に抱いている危機感について、より深く触れてみたいと思います。
この内容は修士研究のテーマに直接関わってくるためタイトルを分けて独立させましたが、内容の位置づけとしては、「藝大デザイン科とわたし」の4章の後編に当たります。前編はこちら、中編はこちら。

あくまですべて僕個人の意見ですので、その点はご了承ください。

ⅳ) 様々な分野をまたがってデザインが必要とされる時代

社会の流れ:縦割り型から横断型の連携へ

須永研に在籍していて……特に2018年2月のDesign@Communities Award 2017の表彰式で、僕が奈良県の「あたつく組合」に関わりを持つようになってから、「デザイン」という行為の幅の広さをより感じるようになりました。

そこで僕が見たのは、奈良の民間の障害者福祉の現場で、福祉職員の方が障がいのある人たちと共に、みんなで心地よくはたらくことをつくることを模索している現場でした。

例えば、障害者の就労支援の現場では、手が使いづらい人がいる職場では皆で専用のサポートツールを工作していたり(理事長さんが誇らしげに見せてくれました、そしてとても素晴らしかったです笑)
他にも、ストレスに敏感な人のために職場の居心地をできるだけ良くしようと、奈良市内のまちなかにCLT工法を用いた5階建ての就労支援センターを建設したり、その支援センターの食堂も、有機栽培の素材へのこだわりや油を多く使わない調理方法などを徹底していて、おいしく、居心地がよく……なので地元の人もふらっとご飯食べに来られるような、明るい空間でした。

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そんなふうに、実際に具体的な課題に直面している本人たちが自分たちので自分たちの未来を描き、目の前の課題に対して創造的に解決していく姿勢……僕はその技術より、姿勢そのものが「デザイン」の本質なのでは感じていました。
僕がデザインで作りたい「幸せ」って、こういうことなのだろうな…と思ったからです。
彼ら自身がとても創造的でいきいきしていて、僕自身その場が大好きで、何度も遊びに行っています。

というふうに僕は、デザインはいまや、プロのデザイナーにしか取り扱えないという特別なスキルにとどまらず、誰しもが日々の暮らしを営む過程そのものであるという見かたをしています。

そこで、僕もnoteのはじめの投稿であえて「デザインとは?」という問いを立てて考えてみました。

- デザインとは?
‘‘未来の誰かへ、その人たちが「幸せだ」と感じられる暮らしを、今の私たちから贈ること。’’
‘‘僕が学びたいデザインの本質は、縦割り分業化社会における専門技能的な側面もあるけど、それ以上に、誰もが日々行っている暮らしの営みの様々な場面で生まれている横断的な工夫や知恵のなかに在る気がしています。’’

僕は、これからの時代、生活者やデザインの使い手とデザイナーが切り離された20世紀型のデザインの専門的分断的な姿勢は廃れていくと思っています。
そのかわりに、デザイン学生もプロのデザイナーもまちへ出て、生活者やデザインの使い手と対話をしながら、時に自分自身が彼らと同じ目線に立ちながら一緒に未来をつくっていく姿勢が大事になると思っています。

共創を学ぶために

一方で「デザイン科とわたし」の後編で述べたように、藝大デザイン科で学生に求められる技能的なデザインの研鑽においては、学生はある種社会から隔離され、自分自身の感性の内側の奥深くに潜り込み、自分自身と対話をする時間のようなものが多く設けられています。
そして言葉をもって作品の説明や自分の探求の意図を相手に伝えることが苦手であるということも述べました。

「デザイン科とわたし」の前編でも、学生たちは横断的なコミュニケーションがとっても苦手であることを述べました。

そんな藝大デザイン科ですが、大学院修士1年生の授業の取り組みで、地域社会や他の研究室との連携とコミュニケーションを含めたデザインプロジェクトを行っています。
ただ…これが、まだなかなかしっくりはまっていない感じで、学生同士の連携も、地域との連携もボロボロの有様です……。
特にそのプロセスで、藝大デザイン科での全てのグループワークでは学生間の連携に関するケアが全く無く、「学生同士、フィーリングでなんとかしてね〜」みたいなところがあるのです。

コラボレーションは、感覚だけで行えるものではなく、メソッドがあります。自分や相手の専門性や得意分野を知って、チームでの役割を決めたり、ルールを設けたり、チームワークのゴールに向けてメンバー個人の目的をお互い共有したりなど……これは実際の仕事の現場でプロたちが見出した知恵であり、これがないとコラボレーションはうまくいきません。

今の留学先のDesign School Koldingでは、2年前あたりから、Co-Creation Cardsを導入したコラボレーションの授業が始まっていて、Communication, Industrial, Fashion, Textileを専攻する学生間でグループを組み、地元企業や自治体との共創を通して、メソッドを意識しながら実践的に横断型の連携を学ぶ授業がありました。僕が経験したのは6週間という短い期間でのコラボレーションの授業でしたが、集中的に企業を巻き込みながら自分たちも連携してデザインを進めていく事において、それらのメソッドがとても有効であったと感じています。
藝大でもこのメソッドが一部使えないかと思って、今後修士制作を進めながら試してみたいと思っています……。

デザイナーの活躍の幅が、活動や社会へと広がっている中で、これからの藝大デザイン科での共創の教育がどの様になるのか……僕の今回の研究がなにか力になれれば幸いです。

ⅴ) 環境や倫理的な問題と隣り合うデザインのしごと

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日本は比較的、難民や環境汚染などの社会問題の被害が少ない国であるため、デザインの目的が経済成長に絞られがちな面があると思います。
藝大デザイン科も、学生個人の能力を伸ばす環境であるだけで、実はデザインそのものを研究する機関としての能力はほとんどありません

しかし…デザインが社会に果たす役割がどんどん広がってきている、また美術大学でなくてもデザインが学べるようになってきているこの時代に、僕は藝大デザイン科が果たす役割も同様にどんどん広がっていくべきだと思います。

それが大学という、人の学びと知識を創造する機関の役割の一つだと思うからです。

ただ一方で、藝大デザイン科の学生はその学びにおいては「自由 Freedom」であるべきで、「デザイン科とわたし」の後編の「役に立たないものをつくる」スタンスでも触れているように、学生のうちから課題を強い過ぎるのは良くないとも思います。

そこで、卒業後の就職先の一つとして、藝大がインハウスの研究機関をもつみたいなビジョンも、修了制作かその延長線で描いてみようと思っています。そこでは藝大のデザイン教育が社会課題にどんな有効性があるのか……みたいなことが研究できるかもしれませんし、その次にデザイン教育をどう進化させていけるか…みたいなことも考えられるかもしれません。

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今までのまとめと、これから

さて…ここまでとても長くなりました。
これからしばらくは、更新を不定期にしようと思います。6月27日までデンマークの大学で試験があるというのと、7月半ばまではそのままデンマークに滞在してふらふらしているためですね。

いまのところ計画している今後の更新計画は、

- 解決すべき課題を列挙してみる
- co-creatingを加速させる6C-Modelとは
- note投稿の見出し画像をデザインする
- 日々の制作と生活のリズムを考える
- ロードマップを作成する
- ...

など、徐々に具体的なプロジェクトの進行に関わっていこうと思います。名前もちゃんと決めなきゃね。

がんばります。

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Yoshikatsu Hirayama
最後までお読みいただきありがとうございます! わたしのMISSION: 「そこに関わる全ての“誰か”が想いと対話でつながり、ともにその未来を編み成していく社会をつくる。」 このMISSIONに、藝大で学んだデザインの知を活かして挑戦していきます!どうなるかわくわく🔥