【エッセイ】 藝大デザイン科とわたし(前編)
~デザイン科の授業の構成と特徴~
修士研究のバックグラウンドである東京藝術大学デザイン科での学びや生活を、学生である僕の目線から考察し、紹介します。
どうして僕が藝大でco-creationを実践しようと思ったか……その背景になります。
後編はこちら。
普段の授業や作品の講評会で先生からどんな指導を受けることができるか / 高学年になってどんなものが見えるようになったか etc...
これから受験するつもりの方も、参考になるかもしれません。
あくまですべて僕個人の意見ですので、その点はご了承ください。
(※本当は載せたい写真が沢山あるのですが、特に講評中の写真などは学外に公開しちゃいけない気がするので、残念ですが写真は少なめです。)
1. 藝大デザイン科の構成・大きな流れ
藝大デザイン科は、学部と大学院の修士、博士課程まであります。
学部は、例年1学年45人。入学の段階で〇〇デザイン科といったような専攻の別れ方はしていません。
大学院は、研究室毎に試験を行います。修士は30人ちょい? 博士はよく知りませんが、各研究室にいても2人とかですかね…?
学部の4年間は、グラフィック・プロダクト・インテリアなどのデザインに興味がある学生から、メディアアーティスト・作家を目指しているひとなど、多様性のあるクラスメイトがごちゃまぜで一つのクラスにまとまっています(まとまっていません笑)。
教授&准教授は合わせて10人いて、以下のような研究室に別れています。
(画像はhttp://design.geidai.ac.jp/staff/より。教員インタビューも公開されているので是非ご覧あれ)
はじめの2年間はおよそドサ回りで、それぞれの研究室の分野のテーマの必修課題を与えられます。
3年生になる頃にはみんな自分たちの専門性を意識し始め、後期には卒業制作を意識して研究室を選ぶことができるようになります。
僕の所属していた研究室は情報・設計研究室ですが、当時は今のSputuniko!先生ではなく、今年3月にご退任された前任の須永剛司先生が教授として、その研究室を持っておられました。
(須永先生については、研究室の先輩である平野友規さんがまとめてくださっているこちらの記事で、とても良い紹介がされています!)
僕も、須永先生大好きです。笑
卒業後は、デザイン科の場合だと卒業生の約半分が就職します。
院も含めてですが、主な就職先の例は、広告代理店、その系列の子会社、産業機械系メーカーのインハウス、文房具会社、化粧品会社、ゲーム会社…フリーランスのデザイナーもいますし、作家もいます。藝大受験対策予備校の社会人講師になる人もいます。
残りの約半数は大学院に入ってモラトリアム期間を延長します…笑 僕もその一人ですね。
学部の外からの入学生は毎年10~15人ほどで、多摩美やムサビのグラフィック系・空間系がメインで、たまに慶応SFCとか…、藝大の他の科から来る人もいます。あとは国外、主に中国からの留学生が毎年4~5人くらい? 授業は日本語で行われます。
大学院では、自分たちの専門性を社会と関わらせる機会が増えます。研究室毎にプロジェクトを持っていたりして、最近だと地域と連携したプロジェクトが増えてきました。
その他細かな紹介は、公式のカリキュラムに載っていますので気になる方はご参照ください。
http://design.geidai.ac.jp/curriculum/
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2. わたしの目線から見た「藝大デザイン科の特徴」
デザイン科が公式に掲げている科の特徴が6つあります。
この6つのうち…僕が最も共感できるのは「自由 Freedom」でしょうか笑
皮肉的な意味も含みますが、藝大デザイン科はとても自由です。僕が特に共感できる点は、「ゆるやかなかたちで自分の適性を見定め、じっくりと『やりたいこと』を探し出せる」ことです。これは、表現活動を探求する我々にとってとても大切だと感じます。
この体制を実現している藝大はもはや天然記念物とも言える…「最後の秘境」とは、よく言ったものです。
言語的な対話は重視されているようには感じません。学生同士、学生と先生間の対話では、とても感覚的・身体的・直感的なコミュニケーションが起こります。あえて言語的な対話を極力減らすことで、表現者としての肯定感を伸ばし、自由な表現を促す仕掛けになっている……ようにも感じます。
僕はそれを「この大学の価値だ」と思いこむようにしています。。
「伝統 Tradition」と言う割には、縦のつながりがあまり強くありません。
これだけ膨大なリファレンスがあふれる次代に、学生たちの授業の作品や探求に関してなんの体系立てもなされていない状況であることは、大学としては致命的だとすら感じています。
「唯一 Uniqueness」であることに間違いはないのですが、そこまで得意げに誇れるような他科との交流はほとんどありません。学生も教員も、それぞれの科でそれぞれのやり方で探求をしているようですが、その学びの交換が行われる機会がほとんどないのが現状です。
「10の力 The Power of 10」は確かに存在しますが、もったいない状態があります。
他科との交流の少なさにも関係してますが、学生たちは横断的なコミュニケーションがとっても苦手で、例えば研究室を横断したグループワークなんてしようものなら、10個のグループのうち8個はメンバーの仲が悪くなって「もうグループワークなんてしたくない」という感想に終わります。
グループワークが苦手な人は「決めてくれたらそれを作るから」と言って話し合いに参加しない人が現れたりします。そんな事言う人はいつまでたっても自分の仕事を自分で決められない下請けデザイナーになっちゃうぞ。
言語的・視覚的なコラボレーションやコミュニケーション以前の問題で、他の視点や価値観に触れることに慣れている学生が少ないように感じます。
しかしその一方で、たとえ分野が違くても人間性が近しい人とは、感覚だけでうまくやっていけます。
「究める Mastery」では、自由さにもあるように、自分のやりたいことをとことん突き詰められるという恩恵がとても大きいです。
ただ、残念なことに言われているような社会連携・産業連携プロジェクトを長期的スコープで見ている教授准教授は少ないという現状です。
これも藝術をバックグラウンドにしたデザイン教育の影響だと思いますが、自己内省や自己表現の、内向きの探求を推進しているかかなぁと思います。
また、今の教授准教授が学生のときに受けた藝術バックグラウンドのデザイン教育をベースにしてカリキュラムを作っているのだろうな……と、そのことも影響しているかと思います。
「環境 Environment」ですが人間関係的な意味での環境としては、とても良い物があると思います。
ただ施設的な環境の側面を見ると、限られた設備の運用・連携のずさんさが気になるところです。大学あるある・国立大学あるあるなのかもしれませんが。
茨城県取手市にあるキャンパスには、膨大な制作のための設備やスペースがあるのですが、2017年からキャンパスの運用体制が変わって美術学部の授業が上野に集中するようになったため、有効的に活用できずにいます。
その他の場面でも、アトリエ利用時間の制限や交流スペースの縮小、廃棄物処理の甘さによるゴミ捨ての規制強化、藝祭規模の縮小、喫煙所の撤廃など……世間的な流れの影響もありますが、生活・制作のための環境がどんどん狭められていているのが現状です。
致し方ない体制の変更だとしても、その決定の過程に学生が参画することは愚か、決定プロセスの公開もしておらず、学生が抗議しようにも責任の所在がわからない…なんてことが近年多く、学生や職員の不安が高まっているのを感じます。
ちょっと全体的にネガティブな印象が強まってきてしまって…良いところもたくさんあるんですよ!僕は藝大好きです。笑
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明日は後編です。
3.「役に立たないものをつくる」 スタンスの長所と短所
4. 私の危機感 ~デザイン科は何処へ向かうのか~
を投稿します。