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【日常系ライトノベル #7】まさかのクレーム
曲がりくねった山道をゆっくりと進む
“18番目のカーブ”という標識が見える
「まだ18なんだな」
後藤はそうつぶやきながら時計に目をやった
時刻は14時45分を表示していた
フロントガラスから見える風景は溢れるほどの緑の木々
そして、時より入り込む木漏れ日だ
くねくねとした道をしばらくすると撮影スポットの看板が見える
長い時間運転していたので撮影する気はまったくなかったが、
傾斜のある駐車場なので位置を確認しながら慎重に車を止めた
シートベルトを外し、助手席よりに重力のかかった重たいドアを開けた
背伸びをすると、思わず「気持ちいい」と声をだした
目の前には高台から見下ろす街並みがミニチュアのように映っている
インスタ映えという言葉があるが、そういうものとは別の感動する景色だ
青いキャンバスに白い絵の具が侵食し、まるで綿菓子のような美味しそうな雲がその景色をより一層感動へ導いた
後藤にとって今日は連続勤務が終わった後の久しぶりのオフだ
体力的には疲れていなかった
けれどもドライブをして少しでも気分をリフレッシュしたかったのだ
休みの日は仕事のことを忘れてドライブをするなんて、とても贅沢な時間だ
あまりにも当たり前のことであっても、
職種によっては休みの日に気分をオフにできないこともあるのだ
平日ということもあり、後藤以外にこの美しい風景を見ている人なんて、
誰もいない
これもまた美しい景色を独り占めにできる贅沢な光景だ
ところが…、何やら嫌な予感がする
「あれ、携帯の着信音らしいメロディーが鳴ってるような気がする」
車に背中を向けていたので音の鳴る方向をキョロキョロと見渡した
シートベルトの一片が、ちょうどドアに挟まり、完全にしまりきっていない
その隙間から音が漏れていることが分かった
ドアを開け、助手席においていた携帯をとった
「はい、もしもし」
「あっ、店長ですか?」
「明日香さん、どうした?」
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この明日香というのはうちのお店で働く17歳のフリーター
性格は真面目で、お店のルールはきちんと守ってくれる、
自己主張も強くないとてもいい子だ
ただ唯一困るのは少しメンタルが弱いところだ
お店で働いているときに何度か泣いたことがあり、
バックヤードで話を聞いてなだめたことがある
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後藤は顔の見えない相手に言葉を選ぶ
「もしもし、聞こえていますか?どうしましたか?」
「店長、お休みのところに申し訳ありません。本当に申し訳ありません」
「休み?全然気にしなくて大丈夫ですよ。今ね、電波が入りにくいところにいるんだ。
ひょっとしたら途中で切れてしまうかもしれないけど、大丈夫ですか?」
「店長、お客様が怒っています」
「?」
「店長、お客様が怒っています(再び同じフレーズ)」
「明日香さん、クレームなのかな?」
「はい、そうなんです」
「わかりました。それでそのお客様はまだ店内にいますか?」
「はい、いらっしゃいます」
「そうですね、わかりました。まずお客様は店長を出せと言ってありますか?そこを教えてもらえますか?」
「いえ、それは仰っていません」
クレームで「店長を出せ」というのはよくあることだ
ただし、こう主張される場合は状況をきちんと把握できずに、
お客様とやり取りしてしまうことが多い
そういう意味では今回の場合は状況を詳しく聞くことができる
後藤は少しだけ気持ちが軽くなった
「明日香さん、いま電話してくれているけどお店のオペレーションはまわっていますか?」
「はい、ルームにはお客様が3組です。お会計だけになっています」
最悪の状況ではなさそうだ
そう感じたので言葉も少し柔らくなる
「そっか、ありがとう。クレームの内容を少し知りたいんだけど、詳しく教えてくれるかな?」
内容によっては電話にはなってしまうけど、きちんと謝罪するからね」
「ありがとうございます。店長、すみません…(シクシク)」
電話越しに少し半べそをかいているのがわかる
(このままだとまずいよな…)
「明日香さん、お客様は店長を出せと言われてないから、
落ち着いて話そうね。 どういうクレームだったかな?」
「はい、15時までのランチメニューがテーブルにおいてあって、
お客様が来店されたのが14時55分でした」
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このお店ではグランドメニューという全時間帯で扱っているメニュー以外に、10時から15時までのお得なランチメニューというのがある
ランチメニューはある程度お客様が引いた15時前に各テーブルから少しずつ回収している
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15時までだらだらと来店があり、メニューを引くことが15時過ぎになってしまうことはよくあることだ
「そっか。お客様は15時前に来店されたんだね。続きを話してくれる?」
「ご案内とお冷(ひや)のサービスとシルバー(ナイフやフォームなどが入ったもの)は終わっていました
ピンポーンって音が鳴ったのでご注文を取りに行きました
日替わりランチをご注文されたんですけど…、時計を見ると15時5分でした
だから、日替わりランチは15時までになっておりますと伝えました
そしたら…(シクシク)」
「明日香さん、話を整理するね。お客様は15時前に来店して、ご注文されたが15時5分。注文の内容は日替わりランチだね。日替わりランチは15時までだから、ランチを提供できないというお断りをした。こういうことだよね?」
「はい、そうです(シクシク)」
「ランチは15時までだけど、ランチメニューがテーブルにおいてあったんだよね。ご注文されたのも15時を過ぎているとはいえ、5分くらいだね。ランチメニューの食材がまだ残っているならランチメニューを提供していいですよ。そのお客様は結局何を注文されたの?」
「日替わりランチです。いまランチメニューを食べてあります」
「明日香さん、そしたらそれで全然問題ないですよ。どういうクレームを言われたのですか?」
「はい、ランチが15時までだったらランチメニューがテーブルにおいてあるのはよくないと言われました」
「そうだね、お客様が仰ることは正しいね。明日香さん、こういうケースもあるので、15時ぎりぎりに来店されたお客様で、テーブルにランチメニューがまだ置いてある場合は、”こちらのランチメニューは15時までのご提供となっております”と一言お伝えするようにしていますよね」
「はい(シクシク)、それを言い忘れてしまいました」
「そっか、それでお客様が15時過ぎにランチメニューを注文されてしまったんだね」
お客様はその後どんな様子かな?料理を持って行ったときも怪訝そうな感じかな?」
「いえ、それはないです」
「そうなんですね。対応ありがとう。電話越しになるけど、お客様がお会計に来られたときに自分からも謝罪の一言を伝えようと思うから大丈夫だよ」
「“今日はこちらの不手際で不快な思いをさせて大変失礼いたました”って伝えるよ」
「店長、ありがとうございます(ワアー 号泣)。でもたぶんそこまでしなくていいと思います」
「そうなんですか?そうはいっても一言謝罪だけはしておくよ。
お客様がお会計に来たときにでいいからもう一度電話をくれるかな?」
「はい、わかりました(シクシク)」
「とにかく対応してくれてありがとう。気分を少し落ち着けてからルームに戻ればいいからね。電話をきるけど大丈夫かな?」
「はい、店長お休みのときに本当にすみませんでした」
「あっ、全然気にしないで大丈夫ですよ。残りの時間、お店のことお願いしますね」
電話が切った後に大きく背伸びをした
一度、深呼吸して美味しい空気を吸う
さっきまで見ていた景色がちょっとどんよりぎみだ
人が倒れているとか、労災が発生したとかではなくて良かったとホッとした
折り返しの電話があるとすれば30分以内だろうから、
もうしばらくこの街並みの景色を見ながら何も考えずに時間を過ごした
それにしても自然の景色は意図的に加工されたものではなく、本当に綺麗で癒される
「トウル、トウル、トウル」電話が鳴る
「はい、明日香さん?」
「お疲れ様です、店長。お客様が帰られます」
「わかった。明日香さんからお客様に店長が一言謝罪したいとお伝えして、
電話を代わってくれるかな?」
「わかりました。お待ちください」
「もしもし…」
相手の声が聞こえると一瞬固まってしまった
「明日香さんのお母さんですよね?」
【終わり】
++++++あとがき++++++
飲食業において、店長の労務管理も含めてオンオフをきっちりと管理することは難しい
もちろん大手のようにお金と人が潤沢であったり、経営者の意識が高ければ改善できる部分はたくさんある
管理や制度も含めて見直しが進んでいる状況でもある
ただし、働き方がどんなにサラリーマン化しても一国一城の主としてお店のことを
気にかける気持ちだけは店長にとって大事な部分なのかもしれない
本ショートショートは単にフィクションを描いた小説の枠に留めず、社員教育などの教育用のコンテンツという使い方も出来る作品に仕上げています
特に外食産業というのは教育が必要な業界でもあります
店長たちが日々奮闘する中で少しずつ前進することを願い、
少しでも還元できれば嬉しいです
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