企画/取材/執筆/編集/分析から“売れるコンテンツ”のつくり方を考える
『編集会議』という雑誌をつくっていたとき、「良いコンテンツだけじゃ売れない!メディア戦略論」という特集を組んだことがある。
一方で「良いコンテンツでなければ売れない」という当然の事実もあり、同じ号の裏特集を「“売れるコンテンツ”のつくり方」という企画にした。
「企画/取材/執筆/編集/分析」という切り口で、それぞれプロ中のプロの方々に解説してもらうという、超実践に基づいた内容だった。
企画から分析まで、いまはぶっちゃけ誰でもできてしまう。だからこそ、お金をもらって仕事をしている以上は「プロ」としての力量が問われる。
一応僕もプロの端くれとして、当時特集を企画するにあたって書いていた仮説的なメモをもとに、4年越しくらいに言語化してみたい。
1) 企画
■企画は「タイトル」が9割
企画を考えるときは、とにかくタイトル(見出し)で考える。企画の内容を収斂したものがタイトルでもあり、「これは!!!!」というタイトルができれば、そのくらい良い企画ができたも同然だと言える。
SNSのタイムライン上に流れてくる記事を読むことが主流になりつつあるいまは、タイトル次第でそのコンテンツが届く遠さも広さも変わってしまう。逆に言えば、いくら良い企画であってもタイトルが微妙だと伝わらない。
■企画とは「気づく」もの
良い企画とされるものは、大抵着眼点が面白い。たとえば以下の記事は編集者の日常の一コマを「魔法の一言」として着目したことで、めちゃくちゃ面白い記事になっている。
この記事のように、企画は「考えてひねり出す」というより「気づけるかどうか」という側面がある。たくさんのクリエイターに取材してきたけど、優秀と言われる人ほど、世の中や日常を見る視点の解像度がとにかく高い。
■企画力は言語化力でもある
「(なんか)面白い」とか「(なんか)つまんない」の「なんか」の中身をいかに言語化できるか。本を読んでも映画を観ても、いちいち言語化する癖をつけると、コンテンツのつくり手として気づきを得る機会にもなる。
僕は、編集者などがつくる企画は社会に向けた「問い」だと考えている。その「問い」への「答え」を言語化していくものとして取材や執筆、編集があり、そして企画〜分析は言語化のループでもあると思う。
2) 取材
■聞くというより「引き出す」
「取材中に100聞けても、原稿になると80になる。だから相手から削られたとしても100になるように、取材では120まで踏み込んでエグいくらいに聞くといい」と、超有名編集者に取材したときに教えてもらったことがある。
この「120まで聞く」を意識するのとしないのとでは、原稿の濃度が違ってくる。取材相手に気に入られたいなどの下心で際どい質問を自粛するより、「読者代表」として相手から情報を引き出すための取材者でありたい。
■質問は「仮説力」でもある
「引き出す」という意味では、取材相手に「あ、この人わかってるな」とどれだけ思わせられるかが前提にある。それは主に質問を通じて見透かされるものであり、質問の質は取材前のリサーチや準備で決まる。
質問は仮説でもある。大抵ネットやSNSに取材相手の情報があるのだから、予定調和的な仮説検証ではなく、ぶつけてみないと検証できない質問という仮説をいかにつくれるか。良き取材なくして、良き原稿はつくれない。
■エピソードと数字が納得感を生む
取材では何かしら一つでも具体的なエピソードを引き出せるほうがよく、具体性が高いほど原稿は面白くなる。細部まで突き詰めて情景を聞ければ、原稿の濃度はぐっと上がり、読者にリアリティを感じてもらいやすくなる。
マーケティング雑誌の編集者時代には「定量的な数字を押さえること」を徹底的に叩き込まれた。たとえば「商品がヒットしている」と取材で言われても、数字で裏付けられないと説得力がない。求めるべきは読者の納得感だ。
3) 執筆
■原稿の良し悪しは「構成」次第
インタビューしたことをそのままの流れで書いても面白い記事にならないことが多いし、僕の取材経験上、優れた書き手ほど「起承転結なんて意識しない」と言っていた。原稿の良し悪しは「構成」によるところが大きい。
「結論+背景+エピソード+まとめ」が一般的な型だけど、何よりの勝負は最初の書き出しで読者の心を掴めるか。いきなり超具体的なエピソードから入ったり、取材で一番面白かった話を持ってくるのが王道だ。
■原稿はフルコースの食事と似ている
これは『編集会議』のまさに「執筆編」の取材で聞いたことの完全な受け売りだけど、原稿はフルコースの食事と似ていて、最初の一口目と最後のデザートの後味こそが最も重要だ(と教えてもらった)。
最初の一口目で「もっと食べたい」と思ってもらい、最後のデザートを食べ終えて「ああ、本当においしかったな」と思ってもらう。どれだけ途中がよくても、最初と最後の一文次第では、原稿が台無しになりかねない。
■汲み取りのクオリティが書き手の力量
「何を書くか」は取材次第だけど、それを「どう書くか」が書き手には問われる。昔の西野さんのブログ記事にもあるように「どう書くか」によっては、こんな怖ろしい事態にもつながりかねない。
相手が言いたかった意図を丁寧に汲み取って、文脈をつくりながら書くことは、より良い文章にする上では間違いではない。むしろその汲み取りのクオリティこそが書き手の力量だと、一編集者としては思う。
4) 編集
■どんな読後感を設計できるか
編集とはまず「この原稿は何を伝えたいのか」を見極めることだ。良い原稿ほど、最も伝えたいことを「一言」に集約できる。極論を言えば、その一言を伝えるために文章があり、さらに手段として構成や表現がある。
そして、「伝える」を「伝わる」に変換することは、読後感の設計そのものだ。読んでみた後に、どんなことを思ったり感じたりしてもらいたいか、というつくり手の意志がなければ、その「一言」は伝わらない。
■「読みやすさ」と「わかりやすさ」
原稿を読みやすく、わかりやすくすることが編集だとすれば、読んでもらうためには、まず読みやすさという見た目としての「デザイン」がある(以下の記事がとても参考になる)。
そして、記事が面白いと思われるためには「わかりやすさ」は絶対条件だ。文章はシンプルにするほど歯切れが良くなるし、わかりやすくもなる。だけど、それによって本質を削ぎ落としてしまうような編集は避けたい。
■つくるだけでなく届けるまでも
多くの人がSNSから記事を読む以上、記事が読まれるか否かは「SNSのタイムライン上に表示される情報」によるところが大きい。つまりクリックされて読まれるかどうかは、タイトルとサムネイル画像次第だ。
タイトルのつくり方は、何より一目で見て「わかる」「伝わる」ことがマストだし(以下の記事がとても参考になりそう)、サムネをどのくらいつくり込むかは編集者のコンテンツに対する“愛”にかかっていると思う。
5) 分析
■どんなときに記事はシェアされるか
上の続きだけど、結局のところ、PV自体はタイトルとサムネ画像を見て、どれだけクリックされたかの結果でしかない。ただいかに多くの人にリーチするかという意味では、「どれだけシェアされるか(量)」になる。
人が記事をシェアするのは「これは知らなかった!」という未知な情報に触れたときや「めちゃくちゃわかる!」などと強く共感したとき。記事で分析すべきは「へー!」とか「たしかに!」という要素がどれだけあるかだ。
■良い記事は受け手を「表現者」にする
記事のつくり手は「どう伝えるか」ばかりを考えがちだけど、その奥行きにある「どう伝わっていくか」まで設計ができるといい。その意味では、「どうシェアされたか(質)」がメディア問わず、一つの大きな指標になる。
良い記事に出合うと、人は単なるシェア(たとえばリツイート)ではなく、その良さを「表現したい」という欲求に駆られる。個人的には、その「思い」を乗せてシェアされた総量がコンテンツの本当の価値だと思う。
■記事を出してからが本当の勝負
本来、記事には仮説が必要であり、仮説があってはじめて検証ができる。仮説は「このくらい読まれるんじゃないか」とか「こういう反応があるんじゃないか」などでもよく、編集者は記事を出してからが勝負だ。
ただ漫然と記事を出し続けるのと、仮説と検証を繰り返しながら記事を出し続けるのとでは、数ヶ月に大きな差になる。ちなみに、仮説検証を繰り返して結果的に売上を倍増させられたのが、以前書いた『編集会議』だった。
――――
棚卸し的に整理してみたものだけど、僕自身できていないこともあるし、むしろできていないことばかりで、書きながら反省しかなかった。
この記事が参加している募集
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?