生きる
黒澤明は僕が一番好きな映画監督の一人であるが、その中でも「生きる」という作品はいつ見ても印象に残っている。当面はこのNoteにも黒澤作品についても書いていきたいと思う。
「世界の黒澤」と呼ばれるだけあって、どこの国の人たちともKurosawa映画となると、知らない人はいない。映画や芸術が好きな人たちは必ず黒澤映画を見ているし、世界中の様々な言語で紹介されている映画はここまでない。
「生きる」についてだが、1952年の作品。もう70年近くも前ということである。今日見ても、同じ価値観と同じ心情を共有できるのは非常に魅力的だと思う。
志村喬が演じる30年間無欠勤の市役所市民課の渡辺課長は、可もなく不可もなくという存在で毎日机に座っているおじさんだった。それがある日、癌で余命を宣告され、今まで自分は生きていなかったということを悟り、残りの人生で「生きる」ということを思う存分体感しようという話だ。
オープニングは非常に重い音楽でスタートするが、それはまさに人生を表す音のように感じる。
ご興味がある人は、上記のリンクでまず予告編をご覧いただくと想像がつくと思う。「生きる」ということは何なのか?を黒澤監督がコミカルに伝えている作品。
この作品は、何回も見ているが、常に「生きることの意味?自分の存在意義は?」と自問自答してしまう。自分の今までの人生、これからの人生について考えさせられる作品である。
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