見出し画像

価値観を壊してくれる旅『モロッコ編』

単純なアイデア

憧れの人が見た景色を見てみたい。
旅の動機はそんな単純なことだった。

20代のころ、趣味と呼べるものがまだあまりなかった。そんな自分にとって格好良い音楽を聴くことは数少ない趣味と呼べるものであり、音楽を奏でるアーティストは憧れで、音楽フェスはある意味推しに会いに行けるお祭りだった。
当時は、サマソニやロッキンに出るようなアーティストの曲ばかりを聴きあさり、the HIATUSやACIDMAN、10-FEETなどをめがけてフェスに行っていた。

そして、その頃にJ-WAVE「ANA WORLD AIR CURRENT」という葉加瀬太郎さんがナビゲーターのラジオ番組に細美武士さんがゲストで出ている回があり、細美さん目的でその回を聴いた。番組では、ゲストが行った印象的な国とそのときのエピソードを紹介するスタイルで、細美さんが紹介した国はエジプトだった。
ただ憧れの細美さんの話を聴きたいくらいの浅い理由で聴いたのだが、すっかり旅の話に惹き込まれてしまった。その旅は行き当たりばったりで目的地を決め、安宿のゲストハウスに泊まる。自分の身ひとつでコミュニケーションし、現地の人たちに溶け込んで行く。そのスタイルはさながらバックパッカーだった。そして砂漠で過ごした一夜が印象的であり、太陽が砂漠の地平線から出てきた瞬間が忘れられないと話していた。
フェスの常連アーティストだから、別にお金がなくてそのような旅をしていたわけではないだろう。あえてバックパッカーのような旅をしているのだ。
そうか旅の価値観は自分で決めるのか。それが当時の自分にとっては衝撃だった。

お金がないからバックパッカーをするのではない。バックパッカーのような旅じゃないと得られない経験がそこにあるから、自ら進んでそのような旅のスタイルを選択しているのだ。
その瞬間からテレビのロケでしか行けなさそうな異国の辺境や秘境は、大抵自分の意思次第で行けるのだ、自分で自分の世界を広げる手段がここにあるんだと、ごく単純なアイデアに気づいてしまった。

そして手始めに「細美さんが見た砂漠に行きたい。そして一面砂漠のなかで地平線から出てくる朝日を見たい」という旅への欲望がどうしても頭から離れなくなってしまった。

砂漠に行きたい

この気持ちを抑えきれず、それまで何度か一緒に旅に出たことのある友人に相談した。これまで国内外一緒に旅行に行ってきた友人だったが、海外といっても行ったのは比較的近い台湾くらい。次に行きたい旅先がモロッコだと聞き、面食らっただろう。だが、溢れる熱い想いを伝え倒し、一緒に行ってくれることとなった。

そこから、どこの国に行くかという議論になった。
もちろんエジプトが有力候補ではあったが、あくまで「砂漠」が第一目的。調べていくうちに、いわゆる砂漠としてイメージしがちな大きく隆起したアラビアンナイトのような砂山のある砂漠の景色はモロッコの方が見られるということが分かった。どうせ行くなら大きな砂山の景色を見たい。

目的地はモロッコに決まった。

国の匂いが違う

そこから「地球の歩き方」を買い、なるべく両手を空けて旅をするためにノースフェイスの大きめのリュックを買い、耐久性の高いティンバーランドの靴やジーンズを買った。逆に帰りに捨ててきても良い古い下着やシャツなどをそのリュックに詰めた。モロッコではトイレットペーパーがなかったりするとも書いてあったので、芯を抜いたトイレットペーパーを圧縮してリュックの底に詰めた。

出発当日、成田空港に早めに集合し、空港で少し食事をとり、飛行機に乗り込んだ。ドバイ経由だったため、乗り込んだ便は大半がアラブ系の人たちだった。しかも便はエミレーツ航空でCAさんの服装もアラブ系で国際色豊か。機内はすでにアラブ世界だった。

ドバイ国際空港を経由して、カサブランカの空港が見えてくる。砂煙がかかったような茶色の街が眼下に見えた。そして飛行機から降り、モロッコの地に降り立った瞬間、目に入る景色が自分の知っている常識の景色ではないことに衝撃を受けた。
緑がない。纏わりつく空気が日本のそれと全然違う。カラッとした日差しが痛い。何より漂う匂いが違う。香辛料のような匂いだ。
まるで他の惑星に降り立った気分だった。

砂漠に4WDで

初日はホテルのあるマラケシュに移動して、近くのレストランで食事を済ませた。次の日から4日間の砂漠へのツアーである。

マラケシュからは砂漠のあるメルズーガへ山を越え、1日半かかる。この旅は、案内役兼ドライバーのホセという中年の男性が各所へ連れて行ってくれた。初日の空港も迎えに来てくれていたので、都合5日一緒にいたことになる。気の良い男性で陽気にいろいろ話しかけてくれた。ある芸能人の名前を挙げ、俺はその人も案内したことがあるよ、と言っていた。彼は第一言語がフランス語で、僕らはカタコトの英語。ちゃんと通じていたかは怪しいが、彼がいたからモロッコとモロッコ人のことを知れたと後になって気づく。

景色を見下ろすホセ

さて、メルズーガへは4WDに乗って向かった。道中、景色は変わるのだが、いかんせんその殆どが砂の色。茶色茶色茶色の風景で、スターウォーズのタトゥーインにいるのかと錯覚するほどの異世界感だった。なにより日本はおろかアジアを感じさせるものがない。いや、ひとつだけ。日本車が時折通り過ぎていた。だいたいはTOYOTAだ。こんな異国の地で唯一日本を感じさせるものがTOYOTAとは、いかにTOYOTAが世界的か、そして同時に本当のグローバル製品になることがいかに大変なのかも感じた。

大きな山脈を越え、途中の街で一泊し、車はひたすら移動する。景色はどんどん田舎になっていく。川で洗濯をしている女性がいる。ハシシを吸う男性もいる。子どもは小遣い稼ぎに観光客に言葉巧みに近づいてくる。自分が全く知らない領域へ踏み込みつつあった。

途中立ち寄ったアイット・ベン・ハドゥ

駱駝越しの朝日

車で移動して1日半、ようやく砂漠の手前に辿り着く。それまでは砂利の入り混じる土地だったのだが、あるところを境に砂の世界になった。4WDは大きく揺れながら、急な砂の勾配を登っていく。途中ホセが下車し、砂を見てろと言った。自分の名前をアラブ語で砂の上に書いてくれた。

自分の名前が書いてあるらしい

その後、砂漠の要塞のような施設に着く。ホセは、自分が付いていくのはここまでだ。ここからは、この施設の者が砂漠を案内し、一夜を過ごすテントに連れて行ってくれると言った。
施設を出るとそこにはラクダがいた。

1日昼夜を共にしたラクダ

ラクダに乗り込む。
高い、そして揺れる。だがそこから見える景色は物語の住人の気分だった。

アラビアンナイトの世界のよう

その後、テントのあるエリアにつく。そこは観光客用に作られたテントが並ぶ空間。夕飯はタジン鍋を頂き、あとは寝るだけ。いくつもテントはあったが、他に客はなく、友人と2人だけだった。
日が暮れ、そのうち暗闇と静寂が訪れる。
少なくとも見渡す限り他に人はいない。2人で大の字になり、星空を眺めた。あたりに光のない砂漠では夜空は星で満天だった。暗闇では時間の感覚を失う。まだ遅くない時間だったが早々に就寝したと思う。

次の日は、朝日を見るので朝が早かった。あたりが白んだころに案内役が来て起こす。きっと4時くらいだっただろう。メルズーガに来る道中で買った民族ターバンを巻き、ラクダに乗り込んだ。

まるで砂漠の民

歩きながら、やがて周りはどんどん明るくなっていく。案内役はここで待てと何もない砂漠で降ろす。こんな広い砂漠の中で、なぜここを選んだのだろうと思っているうちに、やがて地平線から明かりが覗き出す。
砂漠と地平線から出る朝日。
一生忘れない景色のひとつだろう。

砂漠と朝日とラクダ

価値観を壊してくれたのは砂漠じゃなかった

砂漠の景色は自分の心に強く響いたが、実は1番心に刺さったのは、モロッコへの思い込みを壊してくれた人との交流だった。

モロッコは日本から凄く遠い。だから、異なるポイントを挙げやすい。
宗教が違う。人種が違う。言語が違う。気候が違う。風土が違う。食が違う。
これらは記号にしか過ぎないものもあるのだが、気候や風土や食はやっぱり触れると違う。特に宗教など、価値観の違いは、よく知らないがゆえに人は怖れる。自分も特に信心深いわけでもないため、イスラム教が歴史があり、広く布教されていると言われても少なからず怖れはある。

だが、近年意識する機会の多くなったジェンダーと同じく、宗教もいわば記号の違いでしかない。実際に交流したことで、種類が違うだけで、同じくらい深い優しさを持っていることに、この旅で気づかされる。

ホセと。

当時、イラクをはじめとするイスラム教の国々の間ではテロが横行し、恐れられていた。
ネットはもちろん普及していたが、現地の情報を正しくキャッチできているとは言い難く、モロッコに行くと言うと、イスラム教の国じゃないか、大丈夫なのか?とよく聞かれた。自分自身、正しく現地の情報をキャッチしているとは言い難かったが、イラクなどからはかなり距離の離れた国であり、政府の出す渡航情報や、旅行代理店からの情報によって安全と判断していた。

ただ当時は、このテロ活動のせいで少なからずイスラム教全体が過激なイメージを日本人全体が持っていたと思うし、たぶんモロッコに行かなかったら自分もそうだったろう。だが、仮に仏教を信仰している異国の地で過激派がなにか良からぬことを起こしたとき、仏教との関わりの深い日本も危ないと海外から思われたらどうだろう?大きなラベルで集団を判断しないでくれ、きっとそう思うだろう。見ても触れてもいないのに、他人を勝手に判断してはいけない。そういう思いもあり、モロッコに行こうと最終的に判断した。

そしてモロッコで各所を巡り、人と触れ合った。そのたびに素朴な人柄に触れた。案内役のホセはいつも優しかった。
印象的な出来事が2つある。

ひとつめは、ドライブしている最中に転んでしまった2人のバイカーを見かけたとき。ホセが彼らを見つけた瞬間に車を停めたときのことだった。「スマン、行ってきて良いか?」たぶんそんなことを僕らに確認してきた。「もちろん」そう返すと彼は水の入ったペットボトルを持って彼らに傷のケアをしに行った(しかも後続の車も同じことをしに行っていた)。目の前で困っている人がいたらすぐ手を差し伸べる。当たり前だが、そんな簡単に出来ることではない。

そしてもうひとつ。
旅の終盤にお腹を壊したのだが(細かい話は割愛するが、おそらくサラダで壊した)、空港に着く少し前に猛烈な腹痛に襲われた。腹痛に顔を歪め、空港に着くなりトイレに向かうと、そこには10人ほどの列ができていた。
これは、持たない。たぶん絶望の顔で並んでいたのだろう。後ろの男性が肩を叩いてきた。「お前ヤバいのか?バリアフリートイレが空いている。ここに入れ」と。前後の男性たちも気づき、一様に頷いていた。(本来なら入るべきでないが)限界を迎えていた自分は感謝の意を伝え、そのトイレに入り、無事用を足した。と同時に最後までモロッコ人は優しかったと感動していた。

僕らは自分たちの物差しでしか、相手を見ることが出来ない。テレビで流れるニュースでテロ活動など、過激なことをしている=イスラム教の人たちは怖いという先入観を植え付けられていたが、人種や宗教や価値観が違っていても深い優しさがそこにはある。

だから砂漠の壮大さより、日本の中の常識しか知らなかった価値観が壊されたカルチャーショックの方が、自分にとっては財産なんだなと帰りの飛行機の中で考えていた。

この旅がきっかけとなり、コロナ禍に入るまでの数年間、毎年のように日本と文化がなるべく違う国に行くようになった。価値観を壊されに。
だからモロッコは、ここから行く国がガラッと変わるきっかけとなる旅だった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?