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誰かに寄り添えるなら、暗さなんていくらでも見せられる

「僕のnoteの何が良いんですか?」

普段自分のnoteを読んでくださっている方とお話する機会があり、率直に聞いてみた。実際は、もっと温度感があって丸みを帯びた聞き方をしていたと記憶している。

その方曰く、「自分が何となく思っていること・感じていることを言語化してくれていて気づきがあるから」とのことだったのだけれど、その後に付け加えるように言っていた「暗い感じなのが良い」という言葉が何だか忘れられなくて、脳内で何度もリピートされている。

確かに、自分の書いてきた文章を振り返ってみると、あまり明るい気持ちにはならない気がする。

かといって、そこまで暗いかと聞かれると、それほどまでに暗くはない気がしている。ただ、どちらかといえば暗いのは間違いない。

何かに悩んでいる人がいたとして、「がんばれ!」と伝えているわけでもなければ、「がんばらなくて良いよ」とも伝えていない、言ってしまえば“曖昧な”文章を書いている。それが結果として、文章を暗いテイストに仕上げているのかもしれない。

「自分の文章って何なのだろう」
「今まで文章に費やしてきた時間って何だったんだろう」

かつて誰かに言われた、「いつもどっちつかずですよね」という言葉が思い出される。

どっちつかず、確かにそうだ。

“肯定も否定もしない”なんてあまりにも無責任でズルい。

けれど、自分の文章に責任なんて持ちたくない。

勝手な正義感を振りかざして、自分だけが正しいと思っている価値観を押し付けて、勝手に自分自身を責任ある存在だと持ち上げて。

そんな独りよがりの文章が誰かを傷つけてしまうくらいなら、いっそ自分の文章に責任なんて持ちたくない。あなたに全てを委ねたい。

僕には、悩んでいる人の背中を押してあげられるだけの頼り甲斐もなければ、隣に座って献身的に寄り添ってあげられるだけの優しさもない。

「がんばれ!」とも「がんばらなくて良いよ」とも言えない、だからこそ、「がんばりたくない日もあるし、がんばれない日だってあるよね」という言葉で、悩める誰かに寄り添いたい。

誰かを笑顔にするような、周りを照らすような明るい言葉は言えないかもしれない。

それでも、名前のなかった苦悩や葛藤に名前をつけたり、どうしても言葉にできなかった思いを言葉にすることで、ほんの少し心に余白を作れるような、そんな存在でありたい。

誰かに寄り添えるなら、暗さなんていくらでも見せられる。

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おがたのよはく
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