![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/53558646/rectangle_large_type_2_49e33ef68c261018cf048aba78935563.jpg?width=1200)
オリジナルって、ないのかな
「何者かになりたい」と願ってやまないけれど、「何者」の定義や基準は人それぞれだ。
その定義や基準について考える時、唯一無二、オリジナリティ、斬新さ、0→1、これらのワードが何となく頭の中にあるような気がする。
周りと同じでは何者かになれたとは言い難い、との感覚を持っていつつも、「あの人みたくパソコン1台で自由に生きたい」というロールモデルがいるのも事実。
そんなどっちつかずな感覚の中で、何者かになりたいと日々模索している。
つまり、「自分だけの人生を生きたい」というオリジナリティを追求しているようで、実は、誰かの人生のハイライトをなぞっているだけというジレンマがある。
いや、これは考え過ぎなのだろうか。
だって、人類が誕生してから何百万年という歴史がある中で、今更唯一無二になろうなんて考えが破綻している気がするからだ。
起業して社長になったとて、そんな人は既に数多いるわけだし、YouTubeで動画投稿を始めても何の新規性もない。
もちろん、会社や事業のコンセプト、動画投稿のスタイルなどでオリジナリティを出すことは可能だけれど、既存の枠組みの中で工夫を凝らしている時点で、全く新しいわけではない。
そんなことを言い出したら、我々は同じ人間なのだから、何をやろうが「人間」という枠から外れることはできない。
オリジナリティを出すことが絶対条件ではないし、自分ではオリジナリティが無いと思っていても、誰かにとっては、それが斬新に映ったりすることもある。
どうせ我々は同じ人間で、この世に完全オリジナルをもたらすことは難しいのだから、あまり肩肘張らずに「何者かになる」ことを模索していけると良いのかもしれない。
僕は生物学や人類学に全然詳しくないけれど、自分自身と何もかもが全く同じ人間は存在しないはず。たとえ、同じ病院で同じ日に生まれて容姿が似ていたとしても、どんな環境で、日々何を考え、何を選択してきたかで、“その人らしさ”は形成されていく。だから、今そこにはオリジナリティの塊が存在している。
そう考えると、ありのままでいることこそ、何よりのオリジナリティなのかもしれない。
とは言っても、その“ありのままが何か”ってことが、まだ分からずにいるんだけど。
「ありのままとは何か」、次の題材はこれだと思っていたら、すでに書いていたので読み返す。
いいなと思ったら応援しよう!
![おがたのよはく](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/48578471/profile_ce25739b4da4634936666e3c9e055e72.png?width=600&crop=1:1,smart)