“小ボケ”のない世界なんてつまらない
2021年ももうすぐ終わろうとしているけれど、この1年間何を得て、何を失ったのだろうか。
クリスマスの予感がすると、嫌でもそんなことを考えてしまう。
この1年間で得たもの、失ったもの、たくさんあるけれど、
得たもの
一人の時間、自分と向き合う時間
失ったもの
人との他愛もないコミュニケーション
簡単にまとめるとこんな感じ。
得たもの以上に、「人との他愛もないコミュニケーション」を失ったことの方が、自分にとっては重大事件だ。
振り返ると、本当に減ったと感じる。
「仕事」という共通言語のもとに成り立つコミュニケーション、それも大事。
けれど、そればかりの一年だったかもしれない。
と言うと、図らずもかっこよく聞こえてしまうのだけれど、実際、仕事はそれほど満足のいく形にはなっていない。
単純に、他愛もないコミュニケーションの機会が減ったのだ。
「失って初めて気づく」ってこういうことか、と感じてしまうほどに。
「他愛なさ」って何なのだろうか、と考えてみたけれど、自分にとっては“小ボケ”が重要な要素になっている。
「小ボケ」って、どう説明したらいいのだろうか。
お笑いを解説するとつまらなくなるのと同じように、「小ボケってこういうやつなんです」と言ってしまうと、つまらなく聞こえてしまいそう。
何だろう、日常会話の中にある、本当にどうでもいい、そしてしょうもない誰かの一言とかやり取りっていうのかな。
「ボケ」と呼べるほどしっかりとした意図なんて無くて、あくまで「小ボケ」なんだよな。
「小ボケ」が好きというよりも、小ボケ合える関係性に居心地の良さを感じているのだと思う。
真面目に、不真面目な文章を書いている気がするけれど、これはボケでも小ボケでもない、いつも通りの文章。
来年はもっと小ボケたいし、小ボケられたい。
きっと2週間後には、神前で両手を合わせてそう願っているんだろうな。
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んなわけあるか。
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