幸せは、手に入れた瞬間逃げている
今あるもので十分だと思いたい。
行きたかった場所に来れていること、住まいがあること、一人じゃないこと。
それなのに、どうしてもっと欲しくなる、新しいものを欲しがるのだろう。
自分がかつて欲しいと願ったものは、今目の前にあるというのに。
目の前のことが思うように進まなくて、自分よりもできる人の姿を見て嫉妬するどころか、もう辞めちゃおうと考えてしまって。
「自分に今の場所は無理だよね」
「理想を思い求めすぎたよね」
気休めにも言い訳にもならない、そんな思いを声に出す気にもなれなくて。
-
子どもの頃は何も考えていなかった。
ただただ目の前に起こる出来事に必死で、しがみついていた。
「今自分って幸せなのかな。」
そんなことを考える暇もないくらいに。
些細な言動に苛立って、友達と喧嘩をした。
今日の晩御飯が大好物だと聞いて、破茶滅茶に喜んだ。
ただ、それだけだった。
過去を悔やむことも、未来を憂うことも大してなかった。
「今」に、一喜一憂し続けていた。
あの頃は自分が手の届く範囲で、幸せを噛み締められていたのかもしれない。もちろん、当時はそんな自覚無いのだけれど。
しあわせは いつも じぶんの こころが きめる
あいだみつを
物質的な豊かさに「幸せ」を委ねてしまうと、際限がない。
少しでも油断しようものなら、僕らはすぐにないものねだりを拗らせて、他人のあれやこれやが羨ましくなって、今はまだ持たざるモノを欲しくなって、満たされない自分ばかり見えて、嫌になる。
幸せは手に入れた瞬間、実は逃げているのかもしれない。
欲しかった幸せを手に入れると、次の幸せが欲しくなるから。
満たされない何かを満たすことが幸せではないのなら、今あるものに「幸せ」のラベルを貼っていくことが「幸せになる」ということな気がしてくる。
とはいえ、そもそも何も考えていない時が一番良い感じなんだろうな。
何も考えられないくらい、周りのことが気にならないくらい、夢中になれるものや没頭できるものがあれば良いのだけど。
それももう目の前にあるのかな。
▼今回下書きを提供してくれた方
こちらの企画より、文章を書かせていただきました。