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やりたいことがない。「時間」がそう教えてくれた
大学生のうちは時間はあるが、お金がない。
社会人になるとお金はあるが、時間はない。
確かに、と思う。
これらの言葉には「やりたいことがあっても」という枕詞が、見え隠れしているように思える。
前者なら、やりたいことに注げる時間はあるものの、お金がないので多少の制限かがかかってしまう。後者なら、やりたいことをやれるだけのお金はあるものの、そこに割ける時間が制限されてしまう。そんなニュアンス。
僕自身は、これらの言葉の意味する「時間」・「お金」の制限をいずれもあまり感じたことがない。
それは、やりたいことがないから、だと思う。
時間があっても、その時間を使ってまでしてやりたいことがないし、お金があっても、そのお金を使って買いたいものややりたいことがない。
1年前と今とで大きく環境が変わり、比較的自由な時間が増えた今だからこそ、「ああ、自分ってやりたいことがないんだな」と強く実感できた。
日々せかせかと働いていたり仕事の予定が埋まっていた時の方が、もしかすると健全なメンタルでいられていたかもしれない。
やりたいことがない、と実感することは決して気持ちの良いものではなくて、どちらかと言えば焦燥感や不安といったネガティブな感情に変わっていくものだから。
「自由な時間」という誰もが羨むものを与えられた僕は、水を得た魚のようになるかと思いきや、水を失った魚よりも血が通っていない有様。
何をするわけでもなく、何となくSNSを見たりするけれど、キラキラと輝く人たちが目につくだけでかえって逆効果だし、自分のやりたいことって何だろう、とノートにあれやこれやと書いてみるけれど、納得のいく結論に辿り着けたことはない。
気づけば、左上の日付だけ違う、同じような内容が書かれたページが増えているだけだった。
ただ、やりたいことは簡単に見つけられるものじゃないことも、そもそも“見つかるものでもない”ことも、“やりたいことをやらなければいけないわけでもない”ことも、同時に僕は知っている。
だから、焦燥感や不安を感じることはあっても、それらはそれほど深刻ではない。
まだ見つけられていないだけであって、これから先きっと見つかると信じている。
「今やっていることや取り組んでいることが俺のやりたいことだったのか!」と、ある日突然ふわっと気づく可能性だってあるし。
だから、可能な限り、やってみたいなと思ったことはやるようにしている。
実際、今日はどうしてもフレンチトーストが食べたくて、人生で初めてフレンチトーストを作ってみた。
料理には向いてない、ということが分かっただけ、だけど。
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