ありのままで、本当に良いのだろうか
「ありのままで良い」
「あなたは、あなたらしくいれば良い」
すごく聴き心地の良い言葉。
実際、それらの言葉に救われたこともあったし、一歩踏み出せたこともあった。苦悩を抱える人に、そっと投げかけたこともあった。
けれど、常々思う。
「ありのままって、何だろう」
「私って今、ありのままでいられているのかな」
そもそも、本当にありのままでいて良いのだろうか。
ありのままでいることが、今の自分にとって本当に必要なことなのだろうか。
一歩踏み出せない自分、何かを変えたくても変えられない自分、それがありのままの自分なのだとしたら、むしろ、ありのままの自分から脱皮しなければいけないのではないだろうか。
今までありのままに過ごしてきたけれど、そんなあり方や自分に満足いかないから、モヤモヤしたりどこか満たされない気持ちになっているのではないか。
そんな、“実は、もうありのままでいられている”という可能性を最近考えてみている。
若いうちは、常に自分自身が更新されていく。
ライフステージが変われば環境も関わる人も変わるわけで、当然、その中で自分自身の考え方や価値観、理想やあり方も変わっていく。
ありのままの自分、果たしてどの時点の自分なのだろうか。
何にも悩むことなく、目の前に起こる出来事にただ一喜一憂するだけで良かった子どもの頃、あの時の自分がありのままの自分なのだろうか。
そう考えると、あまりしっくり来ない。
僕らは、何か悩む時や「自分らしくいられていないな」と感じる時、それは“ありのままの自分”に執着しているのではなく、その時「こうありたい」と願う“自らの意思”に執着しているのかもしれない。
ありのままの自分でいたいのではない、あるがままに生きていたいのだ。
「ありのまま」と「あるがまま」、使い分ける必要なんて本来ないのかもしれないし、辞書の上ではほとんど同じ意味なのかもしれない。
けれど、何となく、使い分けておきたい。
成長や成功の側には、いつも変化があった。いや、変化を厭わない態度があった。
それはある意味、ありのままの自分を捨てて獲得した“新たな自分”でもあった。
やがて、その新しい自分を、ありのままの自分と思える日が来た。
その積み重ねで、今日まで生きてきた。
そんな人生が、何よりもありのままの自分を映し出している。