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考えれば考えるほど、「やってみなきゃ分からん」となるけれど

動いている時間よりも考えている時間の方が長い時、「結局やってみないと分かんないよな」と意外と楽観的になれたりする。

ただ、考えている時間よりも動いている時間の方が長い時、「本当にこれで良いのかな」とか「もっとちゃんと考えた方がいいかな」なんて、あれこれ考えてしまう。

この塩梅だけは、年齢を重ねてもいまだに掴めない。

「やると決めたら信じてやり抜く」、これが難しい。

考えるのも動くのも、いずれも中途半端になってしまう。

「やる」の認識が甘すぎるのかもしれない。

少しやったくらいで「本当にこれで良いのかな」と思うのは早い気がするし、かといって、「1年間は何としてもやる」なんて覚悟を決めるのも躊躇われる。

そんなことを考えてしまうから、結果的に中途半端になってしまうのだろうな。

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一歩踏み出すことは、想像以上に簡単なのかもしれない。

一歩踏み出した後に、二歩目、三歩目を踏み出し続けることが想像以上に難しい。

「好きなことで生きていく」

その感覚や憧れがあまり理解できなかった。

「何かをやる原動力なんて、結局のところ、責任感や危機感、緊急性だろう」と思っていた。

けれど、「好き」とは言わないまでもそれほど嫌いではないことの方が、結局続けられるし夢中になれる可能性が高いことを、最近ひしひしと感じている。

「この世に自分の生きた証を残したい」
「自分が変えなければならない」

そんな使命感があれば、それを原動力に何かを頑張れていたかもしれない。

今のところ、そんな使命感に駆られる気配はない。

それなら、自分の好きなことや嫌いじゃないことをやって、結果的に周りの人や環境にプラスをもたらすことが、ある意味自分の使命なのかもしれない。

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良くも悪くも、考える時間が増えた。

人生の中で、こんなに考える時間があること、いや、「考える」という行為の占める割合が高いことは初めてかもしれない。

今となっては、考える時間も余裕もなかった、むしろ考えることを放棄していた過去が少し羨ましくも思える。


考えを整理するために文章を書いているはずなのに、まとまりのない文章になっている。

まとまりがない時、収拾をつけられなさそうな時、結局「やってみなきゃ分かんないよな」となっている気がする。

それは、決して結論づけているのではなく、考えることを放棄しているだけなのかもしれない。

考える時間は増えたけど、結局、考え方はあの時から何も変わってないんだよな。

これは「自分らしさ」と呼んでいいのだろうか。


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おがたのよはく
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