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すでに自分らしいはずなのに、それでも探す"らしさ"ってなんだ

“自分らしく生きよう”

まるで、僕らが自分らしく生きることができていないみたいな言い方だ。

確かに、「自分らしく生きることができている」と胸を張って言えたもんじゃない。

けれど、同時に「自分らしくいられていない」と思う理由や要素を説明することもできない。

漠然としたモヤモヤに、漠然としたキャッコピーが刺さり、漠然とした思考と行動のまま、僕らは明日からも漠然とした日々を過ごす。

“自分らしさ”ってなんだ。

自分探しをしたら見つかるのだろうか。

それっぽいものは見つかるかもしれない。

けれど、そんなに躍起になって探さなくても、きっとすでにあるのだろう。

「自分」に最適な動詞は「探す」ではない。

おそらく、「つくる」とか「つくられる」だ。

自分らしさは時間をかけてつくられていく。

自分の考え方や価値観に従って様々な意思決定をしてきた結果、その生き方やあり方が自分らしさになっていく。

こう思うかもしれない。

「その自分の生き方やあり方は、他人と何ら変わりないつまらないものだ」
「自分は周りと同じで個性なんてない」

確かに、一見そうかもしれない。

人生を学歴や経歴、表面的な部分だけで見たら何の個性もない人生かもしれない。

ただ、「何を考え、何を大切にし、どんな選択に至ったのか」という点においては皆それぞれ違う。

全く同じ価値観、考え方の人間なんてきっといないのだから、理想も、結果もどこかで違うはずだ。たとえ、見かけの上では同じだったとしても。

誰だって、その人の持つ価値観や考え方に従って生きているのだから、嫌でも、理想や結果に自分らしさが出てしまう。

“自分らしさ”って、それじゃ駄目なのだろうか。

僕らが求める自分らしさって、一体何なのだろう。

もうすでに自分らしいはずなのに、それでも求めたり探している自分らしさって、一体何なのだろう。


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おがたのよはく
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