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Whyってそんなに大事なんだろうか
いや、大事なんだけれども。
なぜその会社で働くのか、この業務にはどんな目的があるのか、なぜ生きるのか、「なぜ」を考えること、追求していくこと、それらは大事だし、その結果思いもよらない気づきやアイデアが生まれたりする。
いや、そうなんだけど。
「なぜ」はもっとも根本にあるし、コミュニケーションだって「Why」から始めるとうまくいく。
確かに、ゴールデンサークル理論とかあったけど。
「なぜ?」と5回問いかけると本質に辿り着ける。これは自己分析においても効果的らしい。
うん、確かにそうなんだけど。
「なぜ?」とかいちいち考えないくらい、ごく自然に頭も体も動いてのめりこめるようなものこそ、本当にやりたいことなんじゃないの?
と、思ってしまった。
「人を動かす」とかそういうコミュニケーション文脈においては、確かに大事だと思う反面、自己分析をはじめとした「自分」という文脈においては、それほど大事ではないのかもしれない。
今まで自分がやると決めたこと、今もやり続けられていることに、明確な「Why」はあるだろうか。
あったとしても、それを意識しているだろうか。
ぼくがこうしてnoteを書く理由、そんなものは無い。書きたいから書いている。
異性を好きになる理由の一つに「好きだから、好き」という、一見わけのわからないフレーズがあるけれど、あながち間違っていないかもしれない。
これを伝えたら、伝えられた側はおそらく不服そうな表情を浮かべると思うけれど。
良い感じにまとめるならば、「Why」よりも「Want」が大事、いや、「NaturalなWant」が大事なんだと思う。
「Natural」というのは、なぜやりたいのか?とかもはやそういうことすら考えようがなく、「やりたいからやる」という自然発生的で且つ衝動的なニュアンスを表現している。
浅はかではあるけれど、もしかすると、ゴールデンサークルの本当の中心“コア”の部分は「Want」かもしれない、とここまで書いていて感じた。
就活や転職活動なんかで自己分析をする機会があるけれど、どうか「Why」に縛られ過ぎないと良いな、と思う。
たまには、こうやって誰かへ送るメッセージみたいなものを書きたくなる時もある。
居酒屋で隣に座ってきた、世話焼きな少し年上の戯言が、悩める誰かに届いていたら嬉しい。
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