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大切なものは、失ったとき、より大切になる

大切なものは、失ってはじめて気づく

文章を書くようになって、この言葉と向き合うことが増えた。

実際、自分のnoteにも度々登場しているフレーズだと思う。


大切なものが「大切なものだった」と、いつも失ってからしか気づけなかった。

それは、かなりの苦しみを伴うことで、手元に大切なものを残し続けるには、失い続けることを意味していた。

「得る」とは「失う」であり、「決める」とは「諦める」だと思う。
この先の人生もきっと、得る機会より失う機会の方が多い。

「得る」より「失う」の方が、圧倒的に多いのに

過去にも似たような内容で文章を書いているけれど、人生、何かを得る度に失い続けなければいけないなんて、本当にそうなのだろうか。

得ること・失うこと、始まり・終わり、善・悪、大抵のことは紙一重なのかもしれない。

どんな行為も、感情も、価値観も、その逆や裏を内包している。

それが摂理なんだとしたら、やはり、大切なものは失ってからしか気づけないのかもしれない。

けれど、「失う前から気づいていた大切さ」と「失ってはじめて気づいた大切さ」、それらの大きさはきっと違う。

つまり、失った時、“失う前よりも大切になる”ということだ。

僕らは、失ったんじゃない。大切なものを、より大切にしたのだ。


形や見かけとしては確かに失ったかもしれない。

けれど、大切なものはそう簡単になくなったりしない。

どんなに嫌でも、忘れたくても、自分の中に残り続ける。

そうして残り続ける大切なものは、失ってから気づいたのではない。

失って、より大切なものになったから、残り続けている。


僕らは、失ったんじゃない。大切なものを、より大切にしたのだ。

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おがたのよはく
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