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#アラサー #20代

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きっとあなたも。
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#自分らしい生き方

"何者かになりたい"という暇人の欲求

何となくモヤモヤして、何となく自分と向き合っているうちに、都合よく連休は終わってくれる。 そしたら、またいつもの日々が始まって、目の前にある仕事をこなしていればそれで良い、そんなどこか物足りないようで実は満ち足りた日常が戻ってくる。 飲み屋で愚痴をこぼす人も、朝の電車でSNSに憂さ晴らしをする人もみんな、嫌だ嫌だと言いながらもちゃんと仕事をする。連休で時間ができて、このままで良いのかな?なんて考えてみるけれど、結局何も変わることはなく、日々を過ごしていく。 人生とはきっ

誰だって、カッコつけたい時もある

「だめだ、やっぱりカッコつけちゃってる」と冷静になった夜もあれば、「結局、カッコつけてるだけじゃん」と怒りを感じた夜もあった。 「カッコつけすぎかな」と曖昧にした文章もあれば、「カッコつけすぎて中身が薄いな」と書き直した文章もあった。 誰だって、カッコつけたい時はある。 勝手に全員巻き込んでしまったけれど、少なくとも、僕はそう思っている。 目立ちたがりの男子のような“男の性”というやつではなく、“人の性”というやつだ。 数多の紆余曲折を乗り越え、酸いも甘いも噛み分け

24歳と365日、今思うこと

「明日誕生日じゃん、俺」 コーヒーを淹れながら、思い出したかのようにそう呟く朝が何とも日常的に感じられて、自分にとって誕生日がすっかり非日常ではなくなってしまった感じがして、少し淋しくなった。 - 自分が思う以上に、1年間で何かが大きく変わることはない。自分を取り巻く環境も、そして、自分自身も。 23歳と365日目、「今までの人生は、変化に身を任せすぎた」という実感があった。 だから、24歳の1年間は「自分から巻き込み、変化を作りたい」と決意した。 結果的には、思

何者かであるために、僕らは自分をアラサーと呼ぶ

僕らは、自分が「何者であるか分からない」と日々悩みつつも、何とか何者かであろうとしている。 「アラサー」 というのも、自分が何者であるかを表現するための一つかもしれない。 僕らは自分が何者であるかを表現する時、 といった要素で、自分が何者であるかを構成していく。 そこに、「アラサー」や「独身」といった肩書きも付け加えて。 少しでも華を持たせたくて、検定や資格、学生時代に獲った賞を何とかかき集めて履歴書を埋めていくように、「何者であるか」を表現しようとする。 ああ

「あ、今つまんない人生送ってるな」みたいな感覚

ふと、そういう感覚になる時がある。 何がつまらなくさせているのかはあまり心当たりがないけれど、自分の中の「おもしろい人生」と比較した時に、そう感じるのだと思う。 自分自身の人生の過去・現在との比較ならまだしも、たいていは他人の人生との比較になってしまっている。 他人の人生と言っても、特定の一人というわけではなく、漠然とした「〇〇している/できる人生」といったイメージに過ぎない。 この1年間そう思う機会が、どういうわけか増えた。 周りの環境の変化が大きな要因だろうけど