見出し画像

北条政子は悪女だったのか?

日本三大悪女というのがある。
その三人というのは、鎌倉時代の北条政子、室町時代の日野富子、安土桃山時代の淀君である。
今回は、この中で北条政子のことを取り上げてみたいと思う。

なぜ、彼女が悪女なのか。
ひとつに、彼女は「恐妻」のイメージがある。
旦那の側室を頑として認めずに愛人宅をぶっ壊した話は有名だが、これも捉えようによっては旦那への愛情の一種、ヤンデレってやつだ。
この程度で悪女とかいってたら、ちょっと政子が可哀相。
もともと政子は気の強い性格で、当初頼朝との結婚は家族に猛反対されてたのを彼女が強引に押し切ったという経緯があるみたい。
それほど頼朝LOVEの政子なんだから、愛人宅ぶっ壊すぐらい大目に見てあげましょうよ。

彼女と頼朝の間には、4人の子供ができた。
頼朝の死後、二代目将軍となったのは長男の頼家である。
ところがこの頼家、なぜか将軍職を剥奪され、最後は殺されるという哀れな末路を辿っている。
誰が殺したのかというと北条氏、つまり実の母親の実家である。
政子は、実の息子を破滅に追いやることをためらわなかったのか?
ためらうどころか、頼家が刀を掴んで立ち上がったところを政子が自ら押さえつけたというんだから、おそらく彼女の戦闘力はホンモノだろう。

頼家を押さえつけにかかる北条政子

そもそも、何で北条氏は頼家を排除したのか?
それは、頼家が嫁の実家である比企氏と懇意にしてたからである。
北条氏と比企氏は仲が悪く、最終的に北条氏は謀略で比企氏を滅ぼし、その延長線上で頼家も排除したというわけね。
というか、頼朝の嫁の実家vs頼家の嫁の実家という構図は、本家のはずの源氏が完全無視されてるようにも思えるんだけど。
そうなんだ。
この時代、まだまだ母系が父系より強い文化だったのよ。
この母系強しの文化は、飛鳥時代の蘇我氏、平安時代の藤原氏などを見てもお分かりだろう。
嫁の実家は強いのよ。
なぜって、夫婦に子供が生まれたら、子供は嫁の実家で育てるんだから。
旦那は我が子不在の家に取り残され、「あれ?俺って単身赴任だっけ?」と思いながら日々を過ごしていくんだ。
実際、頼家も北条氏の手によって育てられている。
だから頼家も北条氏の思惑通りに動くだろうと見込んでたのに、まさか嫁の実家とツルむとは完全に想定外・・・。
で、殺されちゃったわけね。
北条政子の中では、【息子<北条氏】だったということか?
いや、彼女自身は殺すところまで考えてなかったのかもしれん。
というのも、彼女は頼家を幽閉して、まだ生きてるのに「頼家は死んだので実朝が家督を継ぐ」という嘘の報告を朝廷にしてるんだ。
母親として、せめて命だけは・・・と思ってたんじゃないだろうか。

頼家の死を知り、落胆する北条政子

しかし、不幸はまだ連鎖するんだよ。
三代将軍になった実朝は、死んだ頼家の息子・公暁によって暗殺されたんだから。
公暁としては父の仇討だったんだろうが、でも頼家が殺された時には実朝はまだ12歳の子供である。
仇討の相手を間違ってるような気がするよ。
それにしても、源氏の自滅っぷりは凄い。
・頼朝、実の弟の義経を殺す。
・頼家、実の母の実家に殺される。
・実朝、実の兄の息子に殺される。
ほとんど身内ばかりで殺し合ってるからね。
これで源氏は滅んでしまった。
最後まで生き残ったのは政子であり、北条氏である。
以降、鎌倉幕府は北条氏が仕切っていくこととなる。
普通、そんなお家乗っ取りみたいなこと、周囲が納得しないよね。
実際、納得しなかった後鳥羽上皇は承久の乱を起こした。
朝廷vs幕府の戦争である。
こうなれば北条家は国家反逆罪の「朝敵」ということになる。
この時の北条の大将は義時なんだが、何となく我々は政子が尼将軍として軍を仕切ってたイメージがあるよね。
事実、彼女が軍の皆の前で大演説をして、士気を高めたという逸話がある。
このへんはエリザベス一世の逸話にも似ていて、いかにも女帝という感じ。

エリザベス一世の演説
北条政子の演説

なんていうかな、こうして見ると政子って「悪女」というのとは少し違うんだよなぁ。
時に冷酷非情な決断をするのは事実だが、日野富子や淀君のように私利私欲に走るタイプとはニュアンスが全く違うというか、どちらかというと組織の為に敢えて非情になる姐さんタイプということで、映画「極妻」の岩下志麻をイメージすれば話は早いかも。

「極道の妻たち」岩下志麻

岩下志麻基準で考えたら、政子の頼家に対する冷酷さも何となく納得できるものがある。
岩下志麻基準で考えたら、身内で殺し合いをして源氏が滅んだのも何となく納得できるものがある。
岩下志麻は「悪女」か?
こういうのは、ただ単純に「悪女」というカテゴリーでひと括りにしないでもらいたい。

それにしても、血なまぐさい時代である。
将軍が二代続けて殺されるなど、ちょっと考えれない事態である。
サムライの黎明期ゆえ、まだ将軍というものの威光も絶対的ではなかったということだろう。
これも学校教育の歴史授業による弊害か、鎌倉幕府を室町幕府、徳川幕府と同列に扱うことで、まるで源頼朝が幕府設立で全国制覇したかのような錯覚を多くの人に対して与えている。
とんでもない誤解だよ。
頼朝に与えられた「将軍」という肩書は、坂上田村麻呂と同様、武家の頭領の座を保証するものに過ぎない。
決して、朝廷に代わって全国を支配する者という意味じゃないんだから。
ゆえに幕府の権力基盤も、徳川政権のそれと比較すれば幼稚園児レベルである。
将軍を二代続けて殺せるほど、セキュリティレベルもユルユル。
少なくとも頼朝が幕府を開いた時点では、全国の支配者はまだ圧倒的に朝廷である。
幕府が朝廷から権力を奪ったのは直接対決の承久の乱以降であり、ある意味でこれこそ天下分け目の戦、関ケ原の戦いと同列に語るべきものである。
それなのに、何で承久の乱は関ケ原ほどの知名度に欠けるんだろう?

じゃ、こう考えればいいんじゃないかな。
源氏は平氏を駆逐して優位に立ったことは事実にせよ、決して天下統一したわけじゃない、という意味で織田信長に近いんだ。
そして信長の遺志を継いで天下統一した豊臣秀吉に近いのが、北条氏ということになるよね。
北条氏は承久の乱で朝廷との直接対決を制し、ここで初めて全国制覇できたんだよ。
この戦の落とし前として幕府は朝廷の所領を没収し、地頭を配置した。
また、京都に六波羅探題を置き、朝廷を監視下に置いた。
これら朝廷の権力骨抜きをやったのは、源氏でなく全てが北条氏だというのに、学校の歴史の授業では何と北条氏の影が薄いことか・・・。
どちらかというと、源氏の権力をなし崩し的に奪った悪者のイメージだろう。
いや、実際かなりのワルなんだけどね(笑)。

こうして史上初めて朝廷を屈服させ、覇権を握った北条氏の原点を語るならば、やはり北条政子の存在から全てが始まったといっていいだろう。
まさに彼女は女傑であり、彼女に比肩できる存在感のある女性と言えば、私は卑弥呼と神功皇后ぐらいしか思い浮かばない。
いっそ北条政子の「日本三大悪女」というカテゴライズを廃して、卑弥呼、神功皇后と同格に並べて「日本三大女傑」にしてみてはどうだろう。
あ、もうひとつだけワガママを言わせてもらうなら、これに岩下志麻も加えて「日本四大女傑」にしてほしいな。

小池栄子、目が恐い
小池栄子、目が恐い

いっそ小池栄子も加えて、「日本五大女傑」でどうでしょうか?

岩下志麻の北条政子








いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集