高麗郡街道シリーズ番外編、高麗郡苅生村、赤根ヶ峠と日影道
前回、風土記高麗郡街道記述の一つ、入間郡岩口〜高麗郡赤沢〜同根岸までの道筋をexploreしました。
今回は、前回のexploreの時に、古地図を見ていて気になっていた、苅生、赤根ヶ峠をexploreしたいと思いますが、入間川沿いの道は前回と同じではつまらないので、入間川右岸に、村道クラスの道がありますから、そちらを行きたいと思います。東西に流れる入間川の右岸ということは南岸ということになります。南側に山ですから日影となります。日影道ですね。
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東青梅まで輪行、成木街道シリーズでも走った道を根ヶ布まで行き、
根ヶ布からは天寧寺裏の厚澤通りを行って、厚澤、岩蔵、富岡、上畑、下直竹と進み、苅生村への道筋に入ります。
少し先に苅生の中心地区があって、ここに、赤根ヶ峠からの道筋があります。
その黃点の道筋沿いに、秋葉神社があります。
現在の地点(青点)には、昭和42年に遷座しています。元々は古地図の通り、赤根ヶ峠付近に鎮座していました。秋葉さん、そして愛宕さんと言えば修験、山ですからね。
一時期、南高麗神社に合祀されていましまが、その間も、氏子たちはここでのお祭りを続けていたそうです。信仰の篤さが伝わりますね。
さて、苅生、なんて読むか分かりますか?
かろう、です。難読地名ですね。風土記では由来詳らかならず、と記していますが、この辺りお馴染みの焼畑地名という説もあります。渡来ですね。
その風土記では、東西二十八町南北ニ町(3,000m✕200m), 民家苅生川沿いに三十二散在す、とあります。今も概ねそのような印象でした。
最後の民家を過ぎるとOリングの道に変わります。地図を見ると、苅生川の谷から尾根に550mで70m上がりますね。12.7%です。久々にキツかったですよ。御嶽神社の北御坂レベルでした。
数回の足付きでなんとか上り切り、尾根道を行きますが、風土記には、赤根ヶ峠ともう一つ、長尾峠の記載があります。各種地図を見ても描かれてなかったので諦めてましたが、見つけました!!
さて、下赤工に下ります。風土記には、前回訪問した笹井観音堂配下の正蔵院があるとありましたが、廃止となっています。
その他、常泉庵と、神明八幡合殿一社があり、神明八幡合殿一社は残っていました。
先を行きましょう、小岩井です。ここ小岩井にも、風土記に、笹井観音堂配下の大光院ありとありますが残っていません。が、、、
先を行きましょう、赤根ヶ峠に上ります。下記、今昔マップを見ていただくとお分かりの通り、赤根ヶ峠への道筋は、途中までは残ってるんですが、飯能大河原工業団地で消失してしまっています。
工業団地を抜けると、尾根沿いにハイキング道が作られています。そこを行きます。
そして、赤根ヶ峠です。
赤根ヶ峠を通る道は、飯能、大河原から成木、青梅へと抜ける街道でした。苅生の秋葉神社が遷座した理由も、街道沿い故に、人も多く、恐らく峠に着いて一服、ということもあったのでしょう、何度か火事に遭ったからということでした。その後、畑トンネルが出来て、更にその後、今のT28青梅飯能線となりました。
暑さがかなりキツくなってきました。雷もゴロゴロ言ってます。帰りましょう。
如何でしたでしょうか。
長尾峠を発見出来たのは嬉しかったですね。
小さなexploreでしたが、面白かったです。