ヨーガレッスンの中での知恵のレッスン
今日は千葉の教室に、ヨーガのグループレッスンに行きました。
先生の教室までレッスンに行く時は、いつも開場時間に着くようにしています。
その理由はレッスン前に教室で静かに座って、教室の雰囲気を感じて、レッスンの準備をするためです。
教室は地下にあるので昼間の時間帯であっても、早朝のように静かで、ヨーガをするために作られた空間なので、自宅や会社とは全く違った雰囲気で、ただ静かに座っているだけで、心と体のエネルギーが同調して澄んでいくような感じがします。
ヨーガの先生はレッスン中にいろいろな知恵の教えを織り交ぜて、なぜこの動作をしているのか説明されます。
前のブログで瞑想について講座で学んだことを書きましたが、今日のレッスンで股関節を上げ下げする運動の時に種子のある瞑想と種子のない瞑想についての説明がありました。
なぜ股関節は蝶番のように動くようになっているのでしょう?
種子という表現は普段使わないのでわかりにくいのですが、種子のない瞑想=答えのない事を考え続ける事が瞑想だと説明されました。
答えがないことを導き出すには、Googleや本を調べたらわかるような情報ではなく、過去の経験ではなく、自分の内側から答えを直観的に導き出す能力を身につける必要があります。
普段の私たちの思考の使い方は、仕事の段取りを考えたり、今日何を食べるか考えたり、家事のことを考えたりとほぼルーチン化しています。
先生のレッスンや講座ではこの思考の使い方から一段上の次元の使い方をすることを促されます。
ヨーガスートラに集中→瞑想の段階に進む前に、生き方を浄化する必要があると書かれています。
ヨーガレッスンの時間にいつもする事があります。
一つは心臓に意識を向け、生きていること・生かされていることに感謝すること。
もう一つは生きとし生けるものが幸せでありますようにと願うことです。
最初は何のおまじないだろうと思っていました。
当たり前だと思っている生命に感謝の気持ちを持つことと、そして他の全ての生き物が幸せになるようにと願うことは、本来利他的な欲求を持った魂を目覚めさせ、利己的な欲求をベースにしていた生き方を変性していくために必要なことだと実感するようになりました。
瞑想をしようとしても眠くなったり、頭の中の声に悩まされるだけになっているのであれば、瞑想の目的と正しい実践法を学ぶ必要があると思います。