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開放病棟から閉鎖病棟へ : 5月

こんにちは、ヨギーです。
これから約1年にわたる精神科での入院生活について綴りたいと思います。

入院をしたのは2018年5月14日、はじめは開放病棟でした。
担当医は前回も入院中担当してくださった先生でした。
ヨギーと研修医時代一緒に働いたことのある先生で年齢は30代前半、女性でお子さんもいらっしゃいました。以降A先生とします。

開放病棟にいたのは1日だけでした。
病状が急激に悪化することはなかったのですが、次の日A先生から急に閉鎖病棟へ移動することを告げられました。
「産後うつはなめちゃいけないから」とA先生は指導医にも言われたようで、でもそのとき私はなぜ自分が閉鎖病棟に移動しなければいけないのか理解できませんでした。
大泣きしてヨギー母に電話して、「先生は悪いようにはしないから」となだめられたことを覚えています。
ちなみに入院形態は任意入院のままでした。

閉鎖病棟は4人部屋。
外出は医師の付き添いがあるときのみ可。
同部屋の人たちのことは特に気になりませんでした。

入院3日目にはデパケン800mgが開始になりました。
頓服はリボトリール、オランザピンでした。
今後の治療方針についても説明され、産後うつの背景には双極性障害が隠れている可能性も初めて知り、抗うつ薬ではなく気分安定薬を使用しての治療を開始するとのことでした。

授乳をすることも無いので断乳をしました。
助産師さんに相談することもできなかったので、激うつの最中自分で断乳方法をネットで調べ、自己流で断乳しました。
おっぱいが張って熱感があって痛くて、つらくてしんどくて泣いてました。
こういう時に産科と連携してくれればいいのにと、とても孤独でした。

1週間後にはデパケンを1200mgまで増量し、薬の効果か5日間ほど調子の良い日が訪れました。
皮疹が現れ薬の副作用か心配でしたが、2日ほどで消失しました。
認知行動療法の一環で、A先生と双極性障害を学ぶワークも始めました。

しかし再び激うつ期となり、起き上がれない、食欲ない、風呂入れない、寝たきりといった状態になってしまいました。
5月30日には子どもの1ヶ月検診があり、その日は外出許可をとっていました。
うつの最中でしたがなんとか着替えて夫に迎えに来てもらって外出し、小児科へ。
かろうじて抱っこして先生の前に座っていましたが、ただ座っているだけ。
うつむいて問いかけに何も答えられませんでした。

デパケン導入後、小康状態に少しだけありましたが再び激うつ期へ..
6月からはまた違ったお薬を試すことになります。

ヨギーは看護師ですが、精神科勤務の経験はないため精神疾患についても詳しくありませんでした。
なので産後うつ、双極性障害についてもこの時点で一からの勉強でした。
実際の精神科医からも学べたので、ある意味環境としては恵まれていたかもしれませんね。

いつもお読みいただきありがとうございます。


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