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2024年読書評11 砂絵と日下圭介

「うそつき砂絵」
都筑道夫

最近は読みたい本が見当たらない。そこで、ウッドハウスのジーブスシリーズを読んでみようと読んでみたが、長編だと思って買った本が短編集で、1つの短編を読んで投げ出した。
甚だしく面白くなかったからだ。
「夏への扉」を読み返そうと引っ張り出してみたが、冒頭で読みたくなくなる。
というわけでまた都筑先生のものを引っ張りだした。

これは砂絵シリーズが2編の他、適当に時代小説を集めたものです。
以前読んだ感想が「面白くない」というものだったのだけれど、今回も同じ感じ。

砂絵~大道絵師が謎を解くもの。
「百物語」
百物語=怪談話のリレーの会で、殺人事件が起こる。というもの
「二百年目の仇討ち」
自分は200年前に殺された女の生まれ変わりだという女が以前の恨みを晴らすというもの。

他、6、7編まで計画していたそうだけれど、残念ながら都筑先生は亡くなってしまった。

春色なぞ暦
探偵役は江戸時代の小説家、ワトソンは絵師といったところ。
「羅生門河岸」
吉原の遊郭は、花魁が出て逃げられない作りになっているが、そこに逃げ込んだ男の罪人が消えてしまった、という謎。
「藤八五文奇妙」
板戸に張り付けにされ、顔をつぶされた遺体が川から上がる。
「花川戸心中」
心中の現場に不自然な芥子人形が置いてある。心中に見せかけた殺人ではないか。
こんな謎を解く。

以降
ふしぎ時代劇短編
それぞれはやはり、時代小説であるけれど、基本は推理小説。
つまりミステリなわけです。

私は普通小説は退屈で、ドラマもホームドラマ的なものは苦手です。
ですからミステリのような筋のあるものを好みます。

ただ、やはりこの短編集は初読の時と同じで、あまり面白くは感じられないものでした。



「血の色の花々の伝説」
日下圭介
初読。日下圭介の私はファンなのですが、あまりたくさんは読んでいません。その理由は彼の本にはムラがあるから。つまり、良い出来のものとうまくない出来の作品の差があるということです。
特に彼の初期のものは出来がいい。面白く、読みやすい。しかし後期になると時代が絡んで来て、特に私は時代ものが苦手で、・・・時代と言っても江戸時代までさかのぼるわけではないのだけれど、中途半端な時代ものもあまり興味が持てません。

そして本書は、初期のもの。

物語は:
恋人と喧嘩し今でいうソープ嬢と関係を持った大学生。彼が昔の恋人とやり直すために別れ話を持ち出すと、女と喧嘩になり殴り倒してしまう。意識を失った女、鍋がひっくり返り、コンロが開く。
アパートに帰った彼が気になって女のマンションに戻るが、ガス爆発が起こる。女は死亡するがなぜか刺殺だったという報道。爆発の巻き込みで、住人の家族の妻、子供二人も亡くなる。

この罪悪感を持った青年と、当時青年をかくまった10歳の少女。家族を亡くした夫。
こんな感じの人々の視点で物語は進んで行く。事件の真相は? 犯人は?というもの。

私は常々言っているのですが、この手の小説で、まずいと思うのは視点が変わることです。読みやすい小説は常に一人の視点で語られるか、主人公がいる。そして読者はその人物に感情移入する。
しかし群像劇になると、分散してしまう。

これがこの小説の弱いところだと思います。そしてみんなあまり感情移入できないキャラクター。強いて言うなら少女ですが、物語の中心ではない。
そして私が気になったのは作中、「してあげる」を「したげる」とか、古い女言葉が使われるところ。子供言葉もそう。
つまり、話し言葉はその時代の流行りすたりがあるので、時代を経ると古めかしく感じるというわけなのです。

星新一や赤川次郎はその点、できるだけその時代の流行り言葉などは入れないように意識していると言っていました。
都筑道夫も非常に言葉を慎重に扱っていたし、岡本綺堂なども「半七」は現代小説のようだと都筑さんは言っているくらい、時代に左右されない小説となっています。

そんな点がこの作者の欠点であると思われます。

ちなみに私が現代一般で、嫌いなのは「ちがくて」という言い方。「違って」を敢えて「ちがくて」と言う人たまにいますが、言いたいのは別にいいですが、「古くなりますよ」と言っておきます。

上記のように、小説と同じように、フラットにニュートラルに言葉を使わないと「人」が「流行りすたりに左右される人」となり「世に迎合する人」になり、すぐに「ぼろが出る」ようになってしまいますよと。

・・・
しかし、小説に話を戻しますが、小説としては面白いと言えます。
(話の筋としては犯罪ものだから不愉快だが、小説として出来がよい)
この作者の初期の作品は長編も短編も非常に優れていると思います。ただ、後期になると~これは著者が記者を辞め、専業作家になった辺りから、おそらく量産するようになってからだと思うのですが、読みにくい、あまり出来のよくないものに変貌してゆきます。

宮部みゆきも、前期のものはどれも面白い。しかし、2000年か2010年あたりから途端に面白くなくなる。
これは才能の枯渇か?

反対に松尾由美は初期のものは出来がよくないが、後期のものは面白い。
これは書くことに慣れて来たのか?

・・・どうだろう、みなさんは、ファンになった作家はいますか。
近年はサブスクの発達で音楽をアルバムで聞かないし、ファンになったミュージシャンがいない若者も多いかもしれない。
作家も、通して追って行く作家がいない時代なのだろうか。

でも私は浅く広くではなく、狭くても深くというタイプなので、そんな追求の仕方も、みなさんも、してみてはどうでしょう。



ココナラ
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