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自分の変化と理想の移り変わり

お久しぶりです。陽です。
前回いつ記事投稿したかな。
それくらい久しぶりに書きます。


以前の私と理想

生きるのが苦しかった。そんな当時の夢は、こんな頑張らないと生きていられないような世の中を変えること。でっかい理想だよね。いきなり世の中を変えられるとか、さすがにそこまでは思っていなかったけど、それでも大きな理想だと思う。

私は小さなところからコツコツと自分の生きたいと思える世界をつくろうとした。実際に行動に起こしてコミュニティを立ち上げた。私の理想郷への第一歩。そうしたら案外他の人もその小さな世界にきてくれた。嬉しかったなぁ。同じような生きるつらさを知っている彼らといっしょいると、無理して気張らずに済んだ。頑張ることが当たり前のことでそれができなくなった自分を責め続けていた当時の私にとって、気張らずにいられる空間は本当に救いだった。

「この世は地獄。」
以前の私が強く思っていた現実の印象。頑張らなければ見捨てられ呆れられる。


いま思うこと

頑張らなければ生きられない世界をつくったのは自分

頑張ること自体は好きだった。真面目に頑張れば成果は出ると信じていて、実際にその頑張った結果で認められたり褒められたりした。その体験でもっと頑張ろうと思えた。努力するのが楽しかった。

私はそれを周りにも当てはめ始めてしまった。直接は言わないけど、努力をしない人に対して自業自得だと思った。頑張れば変わるのに。できないのはその人の努力不足で、できないならできないなりに努力を増やせばいいのに。そんなことを考えてた。本気度の問題だよ、と。これを思い始めたのは中学から。めちゃくちゃ体育会系の考え方だよね。

専門学生になってうまくいかないことが出てきた。他人に対して思っていた自業自得の言葉。もっと頑張ればいいのに。努力不足。その自分の言葉が私の首を絞めた。もっと頑張らなければと思った。頑張った。できない。もっと頑張ろう。できない。もっと。でもできない。

ここからの話は他の記事にも書いたところ。ぎりっぎりの3月に専門学生から社会人になれたのはよかったけど、社会人になっても考え方は変わらなかった。
そうやって自分で自分を追い詰めていった結果、私はうつ病になった。これこそ自業自得かも。


いまの私と理想

傷は癒やされた

話を戻す。
私は自分がつくったコミュニティで心の安らげる安全地帯を見つけた。そこで時間をかけてつらさを癒した。理解者がいて、無理する必要性がなくて。最初の頃は療養して働いてない自分を責めていたけど、それも徐々によくないことだと分かり始めた。焦るほど回復は遅くなる。何度も他の人に言われたな。

癒えた私は前を向く勇気が出てきた。でも無理はしない。

考え方の変化

自分に必要以上の期待をしなくなって、等身大の現実の自分を見ることができるようになった。現実の自分を見ず、理想ばかり思い描いて冷静さを失っていた過去とは違う。自分に対して諦めちゃってるのかなとも思ったけど、たぶんそうじゃない。前向きさ自体は変わってなくて、現実を見られるようになった分、ただがむしゃらに頑張るだけじゃない理想への近づき方を模索できるようになった。

発見

病んだ精神の回復には段階があることに気がついた。

以前のうつ病が酷かったころに立てたコミュニティは、安心して療養するにはよかったけど、癒えた自分には合わない場所に感じてきた。今の私にとっては前を向くのは苦痛なことではなく、今までの場所の人たちに心からは共感できなくなった。

これって他の回復してきた人にも当てはまるのでは?
あくまで私の経験による過程に過ぎないけど。

本当に理想的な世界とは

頑張らなくても生きられる世界ではない。それは極端。頑張ること自体は楽しいことだと思うんだ。その考えは今も変わってない。ただ私は、頑張ってさえいればできるようになるって深く考えず盲信していたのがよくなかった。

無理に気張らず程よく力を抜きながら頑張れる世界。
これが現時点での理想に対する結論。


叶えたい夢

これまでの経験を踏まえていま叶えたい夢は…
うーん、わからん。

等身大の自分で頑張れる適度なプレッシャーの程度は模索していきたいかな。その程度に合わせた夢を持ちたい。夢は一つじゃなくていいと思うし、都度更新していっていいと思う。
夢や理想ばかり考えていると、その等身大の自分が見えなくなる。でも、それがないと何を頑張ったらいいか分からず迷子になる。今は夢との程よい付き合い方を見つけていきたいな。

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