小学生向け 読書感想文 「嫌われる勇気」その3 ※私の見解も含めて、小学生向けに分かりやすく紹介しています。
「人は怒(いか)りを捏造(ねつぞう)する」
ある人が、カフェでコーヒーを飲(の)んでいたら、店員(てんいん)さんがコーヒーをその人にこぼしてしまった。その人は、カッとなって、大声(おおごえ)で店員さんを怒鳴(どな)りつけた。怒り(いかり)に駆(か)られ、我(われ)を忘(わす)れている様子(ようす)にみえる。
これも実は、「目的論(もくてきろん)」の話なんだよ。
この人は、「怒りに駆られて、大声を出した」のではない。「大声を出すために怒った」なんだよ。つまり、大声を出すという目的(もくてき)をかなえるために、怒りの感情(かんじょう)をつくりあげたんだ。
この人は、大声を出すという目的が先にあった。大声をだすことで、ミスをした店員さんを従(したが)わせて、自分のいうことをきかせたかった。その手段(しゅだん)として、怒りという感情(かんじょう)を捏造(ねつぞう)したんだ。
人によっては、怒りとはもっと瞬間的(しゅんかんてき)である。色々(いろいろ)と考えてから出すものじゃない。というかもしれないね。
例(たと)えば、こういう話がある。
親子(おやこ)が大声でケンカしている。するとそこに、突然(とつぜん)電話(でんわ)がかかってきた。「もしもし?」慌(あわ)てて電話をとった親にはまだ、怒りの感情(かんじょう)がこもっている。ところが電話(でんわ)をかけてきたのが、子どもの学校の先生だと分かった瞬間(しゅんかん)、親の声色(こわいろ)は丁寧(ていねい)になる。そのまま、先生と普通(ふつう)に話し、電話を切(き)った。と同時(どうじ)にまた、子どもに怒鳴りはじめる。
つまり、怒りとは出し入れができる「道具」なんだ。この親はただ大声で子供を威圧(いあつ)するため、それによって自分(じぶん)の主張(しゅちょう)を通(とお)すため、怒(いか)りの感情を使(つか)っているんだ。
今日はここまで。次は、「人は常(つね)に「変わらない」という決心(けっしん)をしている」について説明(せつめい)していくね。
それではまた明日!