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お守りのような、呪文のような。

心に響く言葉、との出合い。

今月号の雑誌&Premiumの見出しを、書店で目にしてすぐに手に取ってしまった。最近はあまり雑誌を買わないことにしていたのだけど、パラパラとページをめくってすぐに閉じ、レジへ直行。家でじっくり読むことにした。

俳優や作家、ミュージシャン、その他にもいろんなジャンルで活躍されている方たちの大切にしている言葉たち。誰かに言われた言葉や映画、小説、歌詞、さまざまな言葉たちが並んでいておもしろい。

これが多分、偉人たちの名言特集とかだったら購入にはいたっていないだろうし、手にも取っていなかっただろうと思う。もちろんその中には自分の中での大切な気づきやひらめきみたいなものはあるとは思うんだけれど、これはそれとは視点が違うからかも。

自分を励ますためのものだったり、指針のようなものだったり。憧れや戒めなんかもそこにはあると思う。

そんないくつかの言葉たちをお守りのように大切に胸に抱えていて、時折とりだしては握りしめる。外側からではわからない、その人をつくっている成分みたいなものに触れたような気になれた。

私のお守り袋の中にもいくつか言葉がある。

小説の場面なんかでも心に残るものはあるけど、私にとってはやっぱり一番身近である歌の歌詞が多い。好きなミュージシャンはと聞かれれば、真っ先にaikoを、加えて秦基博だと答えるし、ふたりの書く詞も大好きでいくつも心の中にあるけれど、突き刺さり度合いで言えば、圧倒的にスガシカオ。

「死んでしまった奴より 生きたいと願え」 

HOP STEP DIVEの中の一節なのだけど、最初は普通に聞き流していた私。でもある日ふと、これってめっちゃ重いし、難しくないか?と思って。

よく「自分が何気なく生きている今日は、誰かが切実に生きたかった明日だ」っていうけど、こういうのって身近な経験や実感がないと響いてこない言葉なんじゃないかなって思う。どこか自分からは遠い言葉なような気がして。私自身もそうだったな、と思う。でも自分の予想していない別れが何度かあって、その前と後では全然違って聞こえて。

私、生きたいと思って生きていないな、と。

あのひとはもっと生きたいと思っていたのに、それ以上の想いで生きたいと自分自身に願うことはすごく難しいことなんじゃないかって。死にたいと思うほど辛いこともないけど、生に対して貪欲でもない自分を感じたとき、時々この言葉で軽く頬をペシッとしてます。

「ぼくらが二度とない今に光る星ならば きのうと変わらない今日を生きる意味がある」

これまたスガシカオの「ココニイルコト」の中の言葉。

毎日が同じことの繰り返しでどこにも行けないし何にもなれていない自分が嫌で、何かしなくちゃ、掴まなくちゃと得体のしれない焦りの中にいた頃(いや未だに何かに焦っているところはあるのだけど)、そういう自分もそれまでの自分も、この言葉がぜんぶまとめて掬い上げてくれたような気がした。

言葉の印象だけだと、さっきの「生きたいと願え!」みたいなのとは逆なような気がするけど、生きるという意味での根っこが同じというか。微かなものだとしても、そこに存在している限り、光は途切れない。思い出すたびに、それが消えるまでは消しちゃいけないなっていう気持ちになる。

この歌の中盤、「ぼくらが瞬間に放つ光は  たとえ届かない距離でもあなたを目指す」のところで私はいつも父親のことを思い出してしまう。どこにいるのか、生きているのかもよく分からないし、もうさほど会いたいとも思わなくなったけど、私は多分ずっとそれを求めて、目指していたんだよなぁと思う。向こうからそれが見えなくても届かなくても。

そういった意味でも、この詞は私の中で消えずに留まり続けているんだろうな。

そして、この雑誌の表紙を飾っている石田ゆり子さんが紹介している「星の王子さま」は私も好きで、心に残る場面や言葉がいくつかあるんだけど、書き始めると長くなりそうなので、それはまた別の機会に……。









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