うたたね
朝の京急線はギュウギュウ詰めで、顔をしかめながらもちょっと暖かいと思ったり。窓から差し込む陽が、不安げな顔の妻の肩に落ちてキレイ。黒のワンピースに浮かび上がる白い花。
大学病院の入り口には紅葉した楡の木が。黄色くなった葉の、そのささくれだった隙間からのぞく空の青さと泳ぐ鰯雲。
検診の結果はやっぱり全前置胎盤。けれどもまだ胎盤の位置が動く可能性はあるそう。自宅安静はもちろん継続。「不要不急の外出は控えて。家事も禁止です」
検診の結果の心配はもちろんあるだろうけれど、久しぶりに外に出れたことが妻は嬉しいみたい。せっかくだからと駅前の商店街で昼食を取ることに。てんやとケンタッキーの国境線で妻は仁王立ち。
自宅の最寄りの駅に着き妻は調剤薬局へ。その間に私は区役所の特別出張所へ。廃校を利用した出張所には懐かしさがあふれてる。キュキュッと鳴る廊下を上履きで歩きたくなる。
新居の金消契約やら表題登記やら入職手続きやらで使う書類をまとめてもらう。住民票に書かれた見慣れた住所。私たちの家。数年後には郵便番号も番地も忘れてしまうだろうけれど、そんなことは絶対ありえないとも思う。
徒歩10分ほどのわずかな道のりをカメラを取り出してのんびり歩く。FUJIFILM X-PRO3。ちょうど今の家に引っ越すタイミングで手にしたカメラ。ここの街での暮らしを鮮やかに残してくれたカメラ。
ふと、カメラが無かったら、と思う。シャッターを切ったからこそ残すことの出来た生活の断片は、どこへ行ってしまうのかしら。霧散して消えてしまうのか、はたまたふわふわと漂って輪郭もなくなって他の記憶と交わって、大きな感傷的なナニカにでも変わるのかしら。うたたねの間に見る粗末だけれど思い出したくて堪らない夢のような。それも悪くないかも。
中途半端に欠けた月を吊り上げているみたいなクレーン。滝のようなサンザシ。ぴたりとくっついた狭小住宅のわずかな隙間から光が差して主役ヅラをする雑草。そこにちゃんとカメラをやる私。
冬の微細な空気の中にモノゴトの正や負や美や醜が息を潜めて微睡んだ世界で中間を見ている気がする。見ていたいと思う。今までうたたねをするように暮らして来たような気がする。
妻は大きなお腹を抱えて車止めに身体を預けてちょこんと待っていた。帰ろっか、帰ろっか。西陽が照らす昼と夜の境を2人で歩く。今の家にただいまと言えるのはあと何回くらいかな。
向かいの家の屋根に半端な月が浮かんでる。