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はじめまして
ジンと言います。
公立高校の教員を40年続け今年2024年で退職になったのですが、まだまだ体力はあり、借金もあるためwwに今度は私立高校に席をうつして教員生活を続けています。
私は高齢者に位置づけられるます。しかし、この私立高校では私よりも遙かに先輩の方々がバリバリ元気で働いていらっしゃるので、また駆け出しに戻った気分で頑張っております。
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私は以前から副業で電子書籍を出版したいと考えていました。ところが公務員の身ではそれも許されず、とうとう退職まで来てしまいました。退職後も実際に執筆に至ることもなく過ごしておりました。
このまま出版とは無縁の日々を過ごしてしまいそうだったのですが、夏に入院してしまったことをきっかけとして出版がかないました。ダイエットにかんするもので題名は「ダイエットは結局この方法がいちばん」というものです。もしよろしかったらご覧になってください(;^^)。単なるハウツー物ではなく、エピソードを加えて読みやすくしております。
https://www.amazon.co.jp/dp/B0DDX6M2SG
さて、入院したのは「慢性硬膜下血腫」というもののためで、入院する二ヶ月ほど前に気を失って倒れて、その時頭を強く打ったためだと思われます。
なぜ気を失ったのか原因はいまだ不明なのです。実際に自分が気を失ったことの前後は全く覚えておりません。気が付けば、ソファーにぼーっと座っていたというのが嫁さんの話。
その時は自分が退職したことも忘れていて前の勤め先を言っていたことは漠然と記憶にあります。
嫁さんはさぞかし心配したのでしょう。彼女に強く言われて引きずられるように脳神経外科に行き検査をしてもらいましたが、異常は見つかりませんでした。
その後は頭痛に悩まされたり、嫁さんから歩き方がおかしい、背中が曲がっていてしょぼくれているなどとさんざんに言われました。
しかし、「意識すれば治るだろう」「年のせいだろう」と考えていて放置していましたが、日課にしている朝ウォーキングではじめて自分の異常を自覚しました。
歩く途中に軽く走り始めたけど、なんと驚くことに止まれなくなったのです。
どうにかして止まろうと駐車禁止の標識につかみかかりましたが、くるりと一周してまた走り出す始末。その様子を見ていた人がいたら、いい年をしたオヤジが何をやっているんだと思ったでしょうね。今でこそ笑いごとですが・・・
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結局近くの河原で草原に倒れこむようにして止まりました。のんきな私もそこでやっと医者に行くようにしたのです。
総合病院でCTを撮り硬膜下に血がたまっているのを確認した医者から、すぐに脳神経外科の専門病院に行くように言われ紹介状を持って来院。MRを取られてその日の夕方に手術。
一晩チューブをつけられて硬膜下にたまった血が抜けるように処置されました。その晩はベッドに拘束で尿瓶で用を足さなければならなかった。
次の日は幸い一般病棟に移れてホッとしました。一晩で250CCも血が出たそうです。それなら、走り出しても止まれなくなるよなあ・・・そうなのかな?
気になるのはどうして頭を打ったのか、そもそもなぜ気を失ったのかがわからない。もしかして心臓に原因があるのかと医者は考えたらしく、ハートノートという小型のホルター心電計を胸に貼り付けて検査をしてもらいましたがわかりませんでした。
それ以外で原因として考えられるとしたら、「ストレス」しかないらしいのです。ストレスというものはいろんな体調不良の万能毒!しかも、強力らしいですね。
私が倒れた日、実は母が入院したため、車で20分ほどの実家に帰り母のいない家の後片付けをしたり、日ごろにはないイレギュラーなことばかりをその日に経験したためではないかとも思いましたが、結局原因は分かりませんでした。
さて、一週間ほどの入院を経て退院できるようになった時期はちょうどお盆のころでしたが、なんと今度は我が家に帰省していた娘二人と義理の息子がコロナにかかる。またしてもここで嫁さんが私に指令を出します。すなわち帰ってくるな、私の母親の待つ実家のほうに帰れ。
そんなこんなで私は実に久しぶりに実家に帰り、母と過ごしたのでした。
さて、このノートには数年間母と縁遠い生活だった私が、前述のコロナをきっかけに毎週のように実家の母を訪ねるようになったことを記しています。
荒れ放題だった実家の土地を整備して畑や庭として見栄えの良いようにしていく様子と母に教わって農作物を作り始めたことを書き連ねています。「老母と私の農作ノート」という感じで書いていきたいと思います。
お暇があれば、ぜひご一読ください。
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