ジンと言います。 公立高校の教員を40年続け今年2024年で退職になったのですが、まだまだ体力はあり、借金もあるためwwに今度は私立高校に席をうつして教員生活を続けています。 私は高齢者に位置づけられるのですが、この私立高校では私よりも遙かに先輩の方々がバリバリ元気で働いていらっしゃるので、また駆け出しに戻った気分で頑張っております。 私は以前から副業で電子書籍を出版したいと考えていましたが、公務員の身ではそれも許されずとうとう退職まで来てしまいました。退職後も実
今日は母からLINEがあり土曜日は留守にするということですので、日曜日に出かけることにしました。母がいないと庭の木や花の植え替えが進まないからです。どの木を残してどの木を切るのかは母の考え一つにかかっています。私だったら果実のならない木は桜だろうとツツジだろうと全て伐ってしまおうという大雑把な行動をするので母も任せきりにはしたくないようです。 母は特にバラとアジサイ(紫陽花)は切るなといいます。私はアジサイなどにはあまり気を引かれませんが、この花が好きな人は結構多いようです
そう言えば、実家にあったはずの富有柿がなくなっていた。中学生の時に通っていた塾の先生に母から持たされた干し柿を渡したところたいそう喜ばれた。あれはたぶん富有柿を使って作ったのではなかろうか。渋柿を使って作るよりも身が柔らかく甘さもある。それが気に入ったのだろうと思う。 あの先生は私が通っている時に他界されてしまった。ご老人ではあったがまさかの思いだった。個人塾だったのでその後、先生の娘さんが塾を引き継いだのを覚えている。私は間もなくやめてしまったからそれからのことはしらない
ドウダンツツジの根を先日掘り起こした話を書かせてもらいました。ネットで調べたところによると、それほど根は深くないということでした。しかし、掘り起こすのは苦労しました。こんどはもう一本掘り起こす予定です。私が庭木を掘っている間、母にはタマネギを植えてもらうことにしています。休んでいてもいいよと言っても聞かないのは、この世代の人たちの特徴のようにも思えますがどうなんでしょうか。 先日実家で庭の作業をしたときに「あじさいの植え替え」を母から頼まれました。今頃はちょうど植え替えに適
実は近々「フィッシング詐欺」について書いた本をAmazonKindleで出版予定です。前の書籍を出版するときはひと夏の時間を全て費やす感じで書きました。今回はそれよりも早く仕上がったのは慣れもあるのでしょう。しかし、早めに出版しないと実例で載せた詐欺の手口自体が古びたものになるという恐ろしい世の中。今月中には出版しようと思っています。 ただし、今引っかかっているのはペーパーバック版の表紙。電子書籍の方はなんとかなったのですが、ペーパーバックは表裏に加えて背表紙がある。最初の
今村祥吾の「イクサガミ」という本がある。天・地・人の三巻で最近やっと「人」の巻が出版された。時代は明治維新の頃、非常に面白い作品である。内容はネタバレになるから触れないけど、天の巻を試しに読むともうやめられなくなる。地の巻が出るまで一日千秋の思いで待ち、人の巻もやっと出たという思いだ。 そういえば母は読書をするような人には見えなかったけど、私が書いた本は大喜びで読んでくれた。いわゆるハウツーものだったからかもしれない。 宣伝になるけど、上記の本です。 世の中ハウツーもの
バラは五月に満開になるイメージだったのですが、実家の薔薇は11月中旬の今頃咲いています。そこで気になって調べたところ、春バラと秋バラ、はたまた夏バラというものもあるそうです。 これは一季咲きと四季咲きの種類があって四季咲きのバラはある程度の温度があれば花を咲かせるということ。実家のバラは四季咲きのバラということになるのでしょうか。バラの名所は数多くありますが、実家のバラももう少し増やして目を楽しませてくれるようになると雑然とした庭も見栄えがよくなるはず。 しかし、それより
私には毎朝近くの神社まで散歩に出かけお参りをして帰るという習慣があります。一時期は中断していたのですが、再び継続するようになりました。数年前は二年ほど毎日1日も欠かさずにお参りに出かけておりました。 それこそ雨の日も傘を差していったほどです。 願掛けと健康のためとそして風景の素晴らしさ。歩くときはさすがに一眼レフを持って行くことはしませんが、携帯でも十分な写真が撮れます。毎朝のように一枚撮ってはインスタグラムにアップしたりしています。たまに天気の悪い日は撮りませんがほかの
どうも季節外れの台風がやってきているために、土曜日は雨の予報です。土を掘るのは容易にはなるのですが、合羽を着ての作業はなかなかきついものがあります。まず畑の端っこにあるドウダンツツジの切り株を一度はあきらめたけど、根っこをオノで切ってから取り払おうかと思っています。 母が先週二回ほど足先を引っかけるのを見たからです。体は丈夫な人なのですが、どうもちょくちょくケガをしたりこけたりするので、この切り株につまずく前に端っこだけは取り払いたい。 老母は今年の6月にあった私の長男の
そういえば、緑健農法でフルーツのような味のトマトが育てられると漫画で読んだことがあります。「美味しんぼ」だったかな。実際に食べてみたとき確かに普通のトマトとは違っていた。 甘さもあり、果物に近い味わいだったことを覚えています。値段も結構したなぁ・・・これはしかし、家庭菜園ではなかなか難しそうです。 痩せた土地を使うという所だけはいいのですが、ケイ酸カルシウムをまいたり苗の根を洗ったり、液体肥料を週に一回与えたりと手がかかります。ずぼらな私では無理な話。しかも、プランターで
今のところまだ畑に変わった土地がないというのが現状です。かなりの木を切り倒したので庭の空間は広がり、老母は喜んでいます。 「兄弟が尋ねてきたらびっくりするやろう」とか、「隣のおそ松さん(仮名)がうらやましがっていたよ」とかうれしそうに話します。 人は誰しも自慢話をしたがるものです。母にとっては息子が週末になると帰ってきて庭を整備してくれることが大変うれしいし、それをいろいろと人に自慢できることがさらにうれしいようです。 この田舎の庭は父が倍に買い広げたものです。こんな土
母はいま86歳である。私の祖母は父方のほうは早くに他界した。70歳になっていたかどうか。 しかし、母方の祖母は百歳で他界した。たぶん母もそれくらいは生きてくれるのではないかと期待している。病気はあまり気にせずとも体は丈夫な人である。ただ心配なのは車をまだ運転していることだ。田舎だからねぇ・・車がなければ不便だろう。 母には本当に必要最小限の時以外はハンドルを握らないように言っている。妻は毎週通っているのだから、その時に買い物に連れて行けばよいのにという。たしかにその通りだ
さて、毎日書き続けてきたところ、この文章もついには現在の日時に追い付いてしまったようである。老母と庭の整備を始めてから二か月ほどたって書き始めたのだが、先日の土曜日はその日に行った庭整備をその日のうちにみなさんに報告する形になった。 そのために農作の進み具合というか、畑を作るつもりの庭の整備具合の報告は今度の土曜日までできないのである。それでなくても、いつまでも始まらない農作のために「老母と私の庭いじりノート」と題名を変えようかとさえ思っているところだった。 こうなればも
昨日は母の助けを借りてやっと伐採した木の大半を焼却することができた。これは二週間も繰り返していた失敗を回復できたのだからかなりの満足です。やはり、亀の甲より年の劫ですね。 このことわざもすたれてしまったのかな。鷲田清一さんの文章に「真の自立について」と題されたものが教科書に載っています。それには年老いていくということを現代では悪くとらえていることが多い、昔は「老いた人」は尊敬の対象だったとあります。 「長老」や「老師」などがそれにあたるでしょうか。江戸時代では「老中」や「
今日は、今日こそはと言う意気込みで長靴と片手オノも買って準備していた私です。鼻息も荒くいつもより早めに着いて母に「早いな」と言われます。 上の写真が実家の大根を植えた畑。母が大根を間引き中です。もちろん完全無農薬だけど有機栽培にはしてない。ちょっと家畜の糞とかは手に入らないからね。飼っているのは猫だけだし。 さて、今日こそは全て伐った木は燃やして灰に変えるぞ。灰は畑にまくとよいらしいからがんばるぞ。 自分を鼓舞しながら片手オノで小枝を切り出し、昨年の漫画雑誌がなぜか家に
11月第二週の金曜日。今日も日差しがさしています。予報では曇りですが、それほど雲は垂れ込めてはいません。先週土曜日に確認したところでは明日は雨の予報だったけど、どうにか天気は持ちそう。 先週果たせなかった伐採木の処分を今週こそ果たして母を喜ばそうと思います。 実はこんな文章を書いているとずいぶん孝行息子のように思われるかもしれないけれども、ここ数年は母と冷戦状態にありました。母の顔を見に行くこともこの間は全くなかったのです。 母のほうは何となく疎まれているとしか、いえ、